※文中に呼びかけのためのお名前が登場しますが、掲示板からの転載のため当事者の方はご了承下さい。


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春の坂道 ●
錦之助さん、ひばりさん  忠臣蔵  

「若、お帰りなさい」
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強行出場?  

よろしくお願いします! 年を取らない平次とお静

今週のカキコの中から  マイナー?追っかけ?

ひとめぼれ   梅雨寒の一日

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錦之助さんのこと - 2002/11/10 -
>中田さん
 お尋ねの件ですが、私の記憶ではマキノ雅弘(正博)「映画渡世 地の巻」(平凡社)とか、ワイズ出版から出ている「松田定次の東映時代劇 兄弟ライバル・マキノ雅弘を超えた監督」や「沢島忠全仕事 ボンゆっくり落ちやいね」などで読みました。それぞれ違った観点からの話になっています。
 あと小沢茂弘の「困った奴ちゃ 東映ヤクザ監督の波瀾万丈」にも錦之助さんのエピソードがあります。小沢監督の錦之助映画は昭和29年の「唄ごよみいろは若衆」1本しかないんだそうです。錦之助さんの方で小沢監督を拒否していたらしいです。ご存じかもしれませんが、一応ご参考までにカキコしました。
>ヒムロさん
 前に他のBBSで東映撮影所潜入のお話を読みました。随分いい度胸してらっしゃるなぁと思って驚くやら感心するやらでした。あの頃はまだ撮影所もおおらかなところがあったんでしょうね。
 あのときは小林旭さんがお目当てだったと思いますが、錦之助さんのファンだったとは夢にも思わずビックリしました。舞台によじ登って楽屋まで追いかけて行ってサインを貰ったというのもスゴイですね。
 いけない、ご挨拶が遅れました。東映今昔座へようこそ!!こちらこそよろしくお願いします。ファンサイトのBBSはある程度参加メンバーが固定してしまう傾向を免れないと思いますので、最初はちょっとキッカケがつかみにくいでしょうけど、新しい参加者は大歓迎ですからどうぞお気軽にお願いします。
 「真田幸村」は錦之助さんのテレビ初出演なんですね。昭和43年の「祇園祭」は見ていません。この映画の失敗が中村プロには大きな痛手となったようですが、京都の左翼陣営に引っかき回されて馬鹿を見ましたね。その後、三船プロ・石原プロ・勝つプロなどと組んで作った映画は大体見ています。「御用金」「風林火山」「尻啖え孫市」「待ち伏せ」などです。
 テレビでは「子連れ狼」が一番印象に残っています。映画の若山富三郎さんよりもずっとうまく演じていましたね。柄からいえば若山さんの方が適役なんですが、ちょっとクールにやりすぎたせいか刺客道に生きる者の情念が伝わってこなかったです。その点錦之助さんの演技は確かで見応えがありました。殺陣も迫力があって素晴らしかったですね。



春の坂道 - 2002/11/11 -
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>ヒムロさん

 「春の坂道」は昭和46年のNHK大河ドラマでしたか。年間を通して大体見ていましたよ。「木枯し紋次郎」をやる前の中村敦夫さんが石田三成を演じて人気が出ましたね。最初の方はこの三成を見るのが楽しみでした。伊藤孝雄の関白秀次にその側室が上月晃、近習の一人が田村正和、秀吉が中村芝鶴、家康が山村聡、春日局が司葉子、家光が市川海老蔵(現団十郎)、忠長が舟木一夫、柳生石洲斎が芥川比呂志、十兵衛が原田芳雄、といったキャストで、錦之助はもちろん柳生但馬守宗矩!です。
 ヒムロさんの仰有るとおり、宗矩が若い頃の錦之助さんの演技は私もあまり感心しませんでした。錦之助ももうダメかなぁ、なんて考えていたんですが、家光の時代に入ってからの老け役はさすがに本領発揮の素晴らしい演技でした。晩年になるほどよかったと思います。
 でも、テレビに活躍の場を移してからの錦之助さんは、なぜあんなに力の入りすぎた芝居をするようになってしまったんでしょうね。時として明らかに力みすぎているとしかいいようのない場面もしばしば見受けられました。東映時代の錦之助さんを知っている者にとっては、見ていて痛ましく感じられることさえありましたね。
 「祇園祭」での挫折が響いたのかどうか、あるいは萬屋錦之介に改名したことが悪かったのか、私にはよく分かりません。もちろん筋無力症にかかって瞼が上がらなくなるなど健康上の不運もありましたし、離婚を繰り返すなど家庭面での不幸も重なりました。
 でも、私が思うに、錦之介さんの場合、あまり上手に年を取ることが出来なかったのが一番大きな誤算というか失敗だったのではないでしょうか。故人に対して酷な言い方であるのは承知していますが、東映時代の錦之助さんの数々の名作を思うと残念な気がしてなりません。

 

錦之助さん、ひばりさん - 2002/11/11 -  TOP
>中田さん
 どういたしまして。東映関係の本ですから全部お持ちだろうとは思いましたが、気を悪くしないで下さい。仰有るとおり、錦之助さんと松田監督の確執(?)は単なる好き嫌いの感情によるものではないようですが、最初に読んだマキノ監督の本ではその辺がいまひとつよく分かりませんでした。
 でも他の本によれば、松田監督はカットを細かく割るタイプの人でカット数が非常に多く、また俳優を自分の思い通りに動かそうとする傾向が強いらしくて、それが錦之助には気に入らなかったため監督の言うことを聞かない、などの軋轢が生じたそうです。
 反対に橋蔵さんは監督の言うことに従順なタイプだったので松田監督が手がけた橋蔵主演映画は多いとか(笑)。
>ヒムロさん
 「千姫と秀頼」はもう20数年前にテレビ放映で一度見ただけなので細部はあまり記憶に残っていませんが、言われてみればそんな場面があったような気がします。覚えているのは冒頭の大坂城落城のシーンと、高倉健さんが千姫を諫めて自決する(だったかな?)場面ぐらいです。
 話は違いますが、大映でも山本富士子・本郷功次郎の共演で「千姫御殿」という映画がありました。たしか正月映画だったと思いますね。これもテレビで一度見ただけなのでよく思い出せないんですが。
>松岡さん
 錦之助・ひばりの対談やグラビアはそれこそ数知れず、橋蔵・ひばりのコンビよりも登場機会が多かったんじゃないでしょうか。お二人のグラビアを初めて見たのは昭和30年か31年頃の「平凡」で、錦之助さんの家の新築祝いにひばりさんが訪問して仲良くカメラにおさまっている写真です。弟の賀津雄さんも一緒でした。割と有名なグラビアで、復刊本などにも収録されていたと思います。
 素顔の錦之助さんのスナップ写真をまとめて見たのもこれが初めてでした。当時は錦之助さんが大嫌いだったんですが(笑)、素顔は案外いい感じだなと思ったりして、意外な気がしたのを覚えています。


「若、お帰りなさい」- 2002/11/12 -
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>bunさん、ヒムロさん
 「柳生一族の陰謀」を撮影するため11年ぶりで東映京都撮影所に入る錦之助さんを、裏方の人達が総出で出迎えたという話は当時かなり話題になりましたね。出迎えの言葉が「若、お帰りなさい」だと聞いて、ああやっぱり錦之助が東映の若大将だったんだなぁと改めて往事の栄光を思い浮かべました。もしこれが橋蔵さんだったらとてもこうは行かないでしょう(笑)。口惜しいですが認めざるを得ません。
 「柳生一族の陰謀」では錦之助ひとりが随分時代がかった芝居をしていましたが、周りから浮き上がっているという印象は不思議と受けませんでした。うまくバランスが保たれていたような気がしますね。ラストの絶叫には度肝を抜かれましたが、あのシーンから逆算して全体の演技を組み立てたということは十分あり得ると思います。
 宮島義勇さんと言えば最近(全仕事みたいな)本が出てましたね。たしか「天皇と呼ばれた男」というタイトルでしょうか?本屋でパラパラと見ましたが、カメラ技術のことを知らない私にはちょっと付いていけないレベルでした。
>松岡さん
 東映と日活の映画は簡単に比較できませんから無理もないと思いますよ。現代劇でも作風が違いますし、同じアクションものでも主人公(ヒーロー)のスタンスというか心の拠り所みたいなものが全然別ですからね。そもそも日活ファンサイトの中に東映BBSが存在すること自体が異常である(?)とも言える訳でして、渡マスターには本当に申し訳なく思っています。
 錦之助さんのネタが続いたところで、次回は錦之助映画ベストテンを作ってみましょうか。もちろん橋蔵さんのことも忘れた訳じゃありませんので(笑)。

強行出場? - 2003/06/15 -   TOP
 さくらさん、監督権限(?)とはいえ勝手に故障者リストに入れてしまい申し訳ありません。満身創痍のジャイアンツと違い、強行出場して「サクラ散る」になっては困りますのでベンチでゆっくり観戦して下さい。
 「ふり袖太鼓」は橋蔵さんの名前が先に来ていて出番も橋蔵さんの方がやや多いですよ。「大江戸喧嘩纏」は正月映画ということで、ひばり・橋蔵・大友の顔合わせになっています。橋蔵さんの出番はやや少ないものの内容的には満足できると思います。
 橋蔵さんにとっては初めての火消し役で、それも武士の身分を捨てて火消しの世界に飛び込むという設定です。火消しの親方が大友さんで、橋蔵さんを追いかけてくる許嫁が桜町弘子さん(このときはまだ松原千浪)です。後の「鉄火纏」や「江戸っ子肌」に比べればまだまだ堅い感じですが、橋蔵さんの火消し役はきれいですよ。
 「笛吹若武者」「おしどり囃子」「ふり袖太平記」の初期作品はリアルタイムでは見られなかったんですが、昭和35,6年に第二東映でリバイバル(再映)されたときに初めて見ました。どれも初々しくてきれいな橋蔵さんです。
 「怒濤の対決」の橋蔵さんは出番が少ない割には満足のいく芝居をしていたと思います。自分の見せ場をしっかり作っていましたね。それにしてもあの「雪崩の岩松」って云う名前は子供心にもちょっと「?」でした。
 7月の東映チャンネルで放映予定の「海の百万石」は文芸物であり、しかも商人(銭屋五兵衛)の息子の役ですからひと味違った橋蔵さんが堪能できるでしょう。主役ではありませんが、千恵蔵さんとの共演ですから消化不良を起こすおそれはまずないだろうと信じています。

よろしくお願いします! - 2003/06/19 -  TOP
>久里子さん
 いらっしゃいませ、こちら旅がらすと申します。歓迎のご挨拶が遅くなってすみません。オーナーの渡さんより支配人に指名されている者ですが、元をただせばただの橋蔵ファン、東映ファンの一人にすぎません。こちらこそよろしくお願いします。
 橋蔵ファン歴47年の私ですが、橋蔵さんへの思いはレーザービームのようにずっと直進状態という訳ではありません。そこには紆余曲折があり、屈折した思いを持て余した時期もありました。宿命のライバル・錦之助さんに傾斜(錦ちゃん病)して橋蔵さんから遠ざかった時期もあります。
 もちろん橋蔵さんの演技に恥ずかしさを覚えたり、目をそむけたりしたくなったことは、それこそ小学生の時以来数限りなく(?)あります。映画の銀幕から姿を消した後も、テレビの放映で昔の作品の中に新しい発見をしたり、ビデオの普及で見直しや再発見を繰り返しながら今日に至っています。決して単純に一直線ではありません。
 5月のNHK−BS「橋蔵特集」の反響の大きさには思わず目を見張るものがありますね。久里子さんもその時に目覚めたお一人だとのことですが、今更ながらNHKの威力に驚いています。同じ特集でも錦之助さんの25本、ひばりさんの20本に比べて、10本だけとはいささかさびしい思いでした。
 でも、橋蔵さんの映画がこれだけまとめて放映されたのはおそらく初めてのことでしょうが、そのインパクトはやはり絶大でしたし、往年のファンや隠れファンの思いも決して見過ごしには出来ない大きさや深さがあることを知らされました。その意味でNHKさんには大いに感謝しなければならないと思っています。願わくは今後とも東映時代劇スターの特集を続けて行ってほしいです。
 なんだか話が理屈っぽくなってしまいましたが、橋蔵さんの映画についての感想や、他のスターに関する話など、なんでも気軽にカキコして下さい。
>ととろねこさん
 お久しぶりです。お元気のご様子で安心しました。「麻疹の後遺症」対策(?)をぜひ講義して下さい。
>雪さん
 橋蔵さんとひばりさん、共演の時はたしかにちょっと似ていますね。おしどりコンビ(ふり袖コンビ)で売っていたわけだし、所属プロも同じということで、メーキャップとか雰囲気とかを合わせるような意図や工夫がどこかに働いているのでしょうか。


年を取らない平次とお静 - 2003/06/21 -  TOP
>さくらさん
 原作の「銭形平次」では平次とお静が夫婦になった後は全然年を取らない設定になっているそうです。もちろん八五郎もずっと若いまま。お静が結婚したときの年令は確か18才じゃなかったかと思います。(姉さん女房ではありません。)そのままずっと新婚さん状態(?)だとか。
>久里子さん
 「・・・明晰さとか知的な軽さとかいったものは、内容のない暗さや深刻さに比べて、なかなか評価されにくい」という蜷川幸雄さんの言葉は演劇界だけではなく映画界にもそのまま当てはまりそうですね。また日本のみならずアメリカのアカデミー賞選考の場においても同じ傾向が見られるようです。どんなに好演しても賞を貰えない(取りにくい)役がある一方で、賞を狙いやすい役というのが厳然(?)としてあるらしいです。
>雪さん
 私はめったに「一目惚れ」をしない方(だと自分では思っている)ですが、橋蔵さんには一目惚れしました。小学校1年の時でしたが、3才頃から映画を見ていましたから、あまたの時代劇スターの中で一番最後に出会った人なんですね、橋蔵さんは。
 その前に錦之助・千代之介はもちろんのこと千恵蔵・右太衛門・月形龍之介・大友柳太朗・伏見扇太郎の東映陣は云うに及ばず、嵐寛寿郎・大谷友右衛門・中村扇雀・長谷川一夫・市川雷蔵・勝新太郎・高田浩吉・北上弥太朗・三船敏郎・鶴田浩二と、各社のスターをほとんど見て知っていましたけど、好きになった人は一人もいませんでした。初めて惹かれたのが最後に現れた橋蔵さんなんです。
 男でもこんなにきれいな人がいるのか、というのが第一印象でしたね。最初に見たのが「若さま侍捕物帳 魔の死美人屋敷」で、決定的に橋蔵さんの魅力にとりつかれたのは「若衆変化」を見たときです。

今週のカキコの中から - 2003/06/21 -  
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 書いたばかりのカキコも後へ後へと飛んでゆく(?)現象の中で、途中に引っ掛かったままになっている話題をチョコチョコと引っ張り出してみましょう。
 里見浩太郎さんのデビュー当時もその容姿は嫌いではありませんでしたが、小学校低学年の子供の目から見ても芝居が下手すぎるのでイヤというか気に入らなかったですね。「いろは若衆 ふり袖ざくら」でひばりさんの相手役に抜擢されてからはだんだん見られるようになりました。
 でも、小学校の3・4年で同じクラスだった男の子の中に里見さんのファンがいて、里見さんの映画の時はいつも彼を誘って一緒に見に行ったものです。彼は映画の中で里見さんが殺されるのを見て以来(右太衛門さんの「あばれ街道」)、また死ぬんじゃないかと異常なほど怖がっていたので、それを安心させる(?)のが私の役目でした。(予告編と配役を見ればほぼ確実に分かりますから。)
 映画館へ歩いていく途中、冗談で「いや、死ぬかもしれない」などと云おうものなら「俺、行かないよ!」と云ってさっさと踵を返してしまうので、「ウソだよ、死なないよ!」とあわてて引き留める始末。それでも「ホント?ホントに死なない?」と何度も念を押してくるのが可笑しくてたまらない悪い友だちでした。でも、橋蔵さんの死ぬ映画を見たことがなく、心配する必要がない(?)のは本当に有り難いことだとその時は思いましたね(笑)。
 「怪談深川情話」の堀雄二さんは東宝のニューフェースで三船敏郎さんと同期なんです。早大出のインテリ(?)で三船さんよりもソフトな感じの二枚目でしたね。昭和20年代には主演作もいっぱいありました。新東宝・大映・東映と渡り歩いて、現代劇も時代劇もこなしています。
 堀雄二さんの顔と名前を覚えたのは東映で、「地下鉄三四郎」だったか「浅草三四郎」だったか、三条美紀さんと一緒に出ていたのが記憶にあります。その後は東映の名物シリーズ「警視庁物語」のレギュラーでした。時代劇出演は橋蔵さんの「くれない権八」あたりが最後だったような気がしますが、TBSテレビの「大岡越前」に忠相の父親・忠高(千恵蔵さん)の碁敵の役(旗本)でよく出ていました。
 橋蔵ファンに中期以後(カラー化、メイク向上)の橋蔵さんを好む人が多いのはある意味で自然の成り行きですが、初期の作品は白黒映画ということで、あまり放映されないことにも一因があるんじゃないでしょうか。テレビはカラーが当たり前になった昭和50年頃から、洋画は別にして、邦画の場合は白黒映画が敬遠されるようになり、芸術的名作以外はめったに放映されなくなりました。
 それともう一つ、カラー(総天然色)作品が増加し始める昭和33年頃までの邦画は、(時代劇でも現代劇でも)テンポが非常にのろくて展開もいまひとつ歯切れが悪いんですね。それも敬遠される原因になっているような気がします。90年代にビデオ化が盛んになり、「おしどり囃子」や「ふり袖太平記」や「若衆変化」など初期の作品とも再会することが出来て嬉しかったのは事実ですが、それと同時に34年以降の作品に比べるといかにも「古色蒼然」という感じがしたものです。33,4年頃の橋蔵さんが一番きれいだと思っていますが、もちろん初期の頃のいかにも初々しい橋蔵さんも嫌いではありません。

マイナー?追っかけ? - 2003/06/21 -  
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>久里子さん
 尾上鯉之助、沢村精四郎、梅若正二とはまたマイナー揃いの(笑)。でも小学2年生にとっては大スターと同じでしたよ。尾上さん、梅若さんには私も好意を持っていました。それだけに脇役ばかりになったりあっという間に消えていったりしたのが、子供心にずっと引っ掛かっていましたね。まだ理解できなくても当然ですが。
 尾上鯉之助さんの主演は「さけぶ雷鳥」「雪姫七変化」「鬼面流騎隊」などいわゆる娯楽版の作品ばかりでしたが、割とよく見ています。赤穂義士もので「誉れの陣太鼓」というのもありました。でもその後は伏見さんや里見さんとの共演(準主演)ばかりで、そのうちに脇役で途中で死んでしまうという映画が多くなりましたね。たとえば「旅笠道中」「怪傑黒頭巾」「唄しぐれ千両旅」など。扱いがだんだん悪くなっていくのが子供心にも分かってちょっとイヤな気がしたものです。
 沢村精四郎さんは「神州天馬侠」の武田伊那丸の役でデビューしていますが、これは完結編しか見ていません(橋蔵さんの「鳴門飛脚」と一緒だったと思います)。その後も「忠臣蔵」の矢頭右衛門七とか「里見八犬伝」の犬坂毛野役ぐらいしか記憶にないんですが、割合に印象が強いのはその後テレビの「紅孔雀」に主演(錦之助と同じ役)していたのを毎週ずっと見ていたせいでしょうか。
 梅若正二さんはもう「赤胴鈴之助」を欠かさず見に行っていました。正月オールスターの「遊侠五人男」もわざわざ見に行ったほどです。鈴之助を降りた後は添え物の白黒SPばかりでしたが、「月の影法師」シリーズを2本「消えゆく能面」と「山を飛ぶ狐姫」、「化け猫御用だ」と正月映画の「人肌牡丹」を見たあたりで突然姿が見えなくなってしまいました。「山を飛ぶ狐姫」の続編を心待ちにしていただけに訳が分かりませんでしたよ。
 あと東映では伏見扇太郎さん(病気で倒れるという不運がありましたが)、南郷京之助さん、沢村訥升さん(精四郎さんの兄)などもマイナーのまま消えて行きました。

ひとめぼれ??? - 2003/06/21 -   TOP
>雪さん
 いえ、それがその、女優とか女の歌手にも一目惚れしたことはほとんどないんですぅ、パピプペ、パピプペ、パピプペポ(笑)。中学生の時あんなに夢中になっていた吉永小百合さんでさえ一目惚れではありませんでした。もちろん日活のパールラインにランクされた頃から気になってはいましたが、好きになったのは歌のヒットでテレビの歌番組に登場するようになってからなんです。「寒い朝」とか「いつでも夢を」ですね。もしあのとき正月に「いつでも夢を」を見に行かなかったなら、小百合さんの魅力にとりつかれて虜になることはなかったかもしれません。
 その他の女優、丘さとみさん、大川恵子さん、岩下志麻さん、若尾文子さん、浅丘ルリ子さん、芦川いづみさん、藤純子さんにしても一目惚れじゃないんですね。例外は、強いてあげればもっと遅くなってから、原田知世さんぐらいですね。SF嫌いのため全然期待しないで見に行った「時をかける少女」でマイってしまいましたが、それも本編ではなくてストーリーが全部終わった後のエンディングを見たときなんですわ。フィルム・メイキング風の映像にクレジット・タイトル、主題歌が流れ、素顔の原田知世さんが現れます。映画の中で演じていたヒロイン役よりもずっと可愛くて魅力がありました。
 男優では他に小林旭さんに夢中になっていた時期がありましたが、これも一目惚れじゃありません。初めていいなぁと思ったのは「口笛が流れる港町」という映画のポスターを見たときでした。
 市川雷蔵さんに至っては最初は嫌いだったんです。小学生の頃はむしろ勝新太郎さんの方が好きでしたね。雷蔵さんの魅力に気づいたのは亡くなってからです。死去の報にショックを受けて名画座の雷蔵特集を見て回っている内に惹かれるようになりました。「市川雷蔵をしのぶ会」(朗雷会)結成のきっかけとなった伝説のオールナイト上映(旧新宿大映で4ヶ月間位毎週土曜夜)には私も何度も行っています。
 南郷京之助さんは伏見扇太郎さんが病に倒れた後の代役として「小天狗霧太郎」に主演しましたが、あとは脇役かせいぜい準主演格どまりでしたね。第二東映でも主演作は一本もなかったと思います。それでもテレビの「源義経」に主演していたので印象は強いです。
 もっともテレビで見た訳じゃなくて、「風小僧」「七色仮面」と同様に、劇場公開用に再編集された映画版の方しか見ていません。牛若丸時代は北大路欣也さんがつとめ、弁慶が山口勇さん、頼朝が波島進さんでした。静御前は扇町京子さんだったような気がしますが記憶が定かではありません。あと梶原景時の役は関山耕司さんがやっていましたね。
 「大江戸七人衆」の南郷京之助さんは女形の役でしたね。でもチャンバラには全然加わっていないので、これじゃ六人衆じゃないかなんて当時は思ったものです。しかも最後の墓参りのシーンでは遠目に見守るだけなのでこりゃまたどういう訳かと(笑)。

梅雨寒の一日 - 2003/06/24 -   TOP
 
真夏日から梅雨寒へと移行する間にカキコが集中してあっという間に置いて行かれてしまいました。話題が沢山ありすぎてどこから手をつけていけばいいのやら(?)、話を逆流させるようなレスばかりですが少しずつ。
>雪さん、さくらさん
 私が「宿命のライバル」などという表現を使ったために余計な筆禍(?)を招いてしまったようで申し訳ありません。別段対立を煽るつもりで書いた訳ではありませんのでご容赦下さい。
 「雪之丞変化」は正月映画にしたりせずもっとじっくり撮って欲しかったですね。1部作でしかも85分しかないなんて正気の沙汰とは思えない(笑)。でも東映調にアレンジするためにはああするしかなかったのかなぁという気もします。
 「雪之丞変化」に限らず「恋山彦」なども短すぎて「もったいない」映画の部類に入りますね。どうして橋蔵さんの二役(三役)の作品ときに限ってこういうことになるのか。安直な作り方をせずにもし二部作で撮っていたら、橋蔵さんの代表作に数えられるほどの出来映えになっていた可能性は十分あるかもしれませんね。
 そういう観点から行くと「恋や恋なすな恋」は橋蔵さんの映画の中で唯一の大作と呼べる映画、もしくは大作としての風格を備えている映画、であるということは言えそうですね。もちろん結果としての出来映えは別にしての話ですが、あらためて見直してみると橋蔵主演映画は意外と大作がないんですよ、いわゆるプログラム・ピクチャーばかりで。
 大作といえるのは「恋や恋なすな恋」の他には「天草四郎時貞」ぐらいで、あと強いてあげるなら「海賊八幡船」が辛うじて大作と呼べる程度でしょうか。それに対して錦之助は「宮本武蔵」五部作をはじめ「親鸞」二部作、「武士道残酷物語」「鮫」「冷飯とおさんとちゃん」など、大作として売り出せる作品がいっぱいありました。
 橋蔵さんもこれからという時に映画が一気に斜陽化してしまうという不運はありましたが、東映サイドの企画や戦略にも多少問題があったんでしょうね。錦之助ばかりか橋蔵にまで芸術づかれては困る(会社が回っていかなくなる)という事情はあったと思いますが。
 東映の場合は一年中同じような時代劇ばかり作っていたから、オールスター映画は別として、あらたまって大作というものを打ち出しにくい状況があったと思います。それと映画会社のカラーもあるのかな、大映や東宝は割合に大作のイメージで売るのが上手かったというか、企画内容的にも初めから大作として扱えるタイプの作品が多かったような気がします。
 その伝で行けば日活も東映と同傾向にあり、大作がほとんどなくてプログラム・ピクチャーばかりという印象でした。それでも日活には石原裕次郎さんがいましたし、裕次郎さんの存在自体が飛び抜けていましたからその線での大作はあったと思いますね。


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