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風雲急なり東映城!?  ●
ありがとうございます  

鶴田浩二さんの時代劇  

淀川さん、テレサ・テンさん、橋蔵さんの関西弁


同じテレ屋でも

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ライバル物語 - 2003/06/24 19:36 -
 本題に入る前にひばりさんと淀川さんの話を少し。
 雪さん、「天涯孤独」は確かにおかしいですね。でも、ひばりさんに妹さん(勢津子さん)がいらっしゃることは亡くなってから知りました。(そういえば妹がいたような気もするけど覚えてないナァ、といったところでしょうか。)勢津子さんは武彦さんに似たような感じですね。昭和30年代初めの頃に完全に義絶してしまったそうですが、妹さんの書かれた本は読まなかったので詳しいことは知りません。
 淀川長治さんの映画評論家としての評価が低いのには理由があります。一つには文芸的でないからでしょう。文章で立たないと評論家として認められないような風潮があります。それともう一つは、これも最初の理由と多少関係がありますが、批評の言葉というかひとつひとつの言葉の用い方に多少厳密性を欠いたところがあるんですね。
 単に一貫性がないとか支離滅裂であるとかいうのとは全然違うんですが、なんていったらいいのかな、映画批評も言葉によって書かれたひとつの作品であるという観点からいくと、やや物足りないというか整合性に欠ける面がなきにしもあらずなんです。
 もちろん映画は文学ではないし、映画批評も文学ではありません。そこのところを混同しては間違いですが、言葉の使い方にはやはり厳密でないとまずい面があると思います。
 だからといって淀川さんの話がつまらないとか無意味だとか思ったりは全然していません。対談や語りおろしで披露される映画体験や作品および俳優についての蘊蓄などを読んでいると、とても面白く楽しいものです。淀川さんの話は嫌いじゃありませんけど、評価が低いと云うことについてはそのように考えています。
 さて、ライバルの話ですが、東映に比べて大映の時代劇は人気がありませんでしたし、錦之助・橋蔵の人気に比べて雷蔵・勝新は明らかに見劣りがしました(昭和30年代半ばまでの話です)。また、大映が雷蔵さんの方を最初から一方的にスター扱いしたこともあって、勝さんは役の上でも、また作品的にも、雷蔵さんより完全に格下の扱いでした。子供の目にも雷蔵さんは長谷川一夫さんの対抗馬として映っており、勝さんは(たしかに雷蔵さんとの共演は多かったものの)同格のライバルという印象ではありませんでした。
 しかし、「悪名」と「座頭市」の大ヒットで勝さんは人気の点でも興行成績の面でも、雷蔵さんを完全に抜き去ってしまいます。それほどあの当時の勝さんの勢いというのは凄かったし、雷蔵さんはその足元にも及ばなかったと云っても過言ではないと思います。そしてこれ以後、雷蔵さんは勝さんを抜き返すことはもちろん並ぶことさえ出来ませんでした。
 世間の常識から云えば勝さんの方がギャラが上になってもおかしくなかったかもしれませんが、大映は同額に抑えていたようです。世間の人気やマスコミの注目度では勝さんが断然上でした。もちろん役者としての実力や評価はまた別ですが、雷蔵さんの印象はいまひとつパッとしないものでした。
 裕次郎さんと旭さんの場合も、成り行きからいって裕次郎さんの方が完全に格上でしたから、あまりライバルという意識は見ている方にもなかったような気がします。私自身は裕次郎が大嫌いだったし、裕次郎なんてどこがいいんだと思っていましたけど、だからといって裕次郎を優遇しすぎるとか旭の扱いが悪いとか、そういうことは別段思いませんでしたね。むしろずっと後になって(日活が倒産してからも)、裕次郎はいいことばかり、旭は悪いことばかり云われているのを見て、それはちょっとおかしいんじゃないかと思い始めたような具合です。
 錦之助と橋蔵の関係にしても当初(昭和30年代前半まで)はそれほど意識していた訳じゃありません。ただ、大嫌いな錦之助であってもその実力は侮り難いと云うか、錦之助の脅威みたいなものをこちらが感じるようになってはじめて、橋蔵との比較を意識するようになりました。
 では、大分長くなりましたので、錦・橋・雷の関係についてはまたあらためて。テレサ・テンの歌やひばりさんの「あまり好きでない歌」(雪さん)についてもレスしたいのですが、今日はこの辺でお許しを。


風雲急なり東映城!? - 2003/06/25 -  
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 快傑赤頭巾さんが御用提灯を持って現われるとはオドロキ!!いつから町奉行所の配下に??無宿人狩りだけはご勘弁を。
 淀川さんは「映画通」「生き字引」として重宝されていた意味合いが強く、特に晩年はその傾向が顕著だったと思います。「映画評論家」としては専門家の間での評価は必ずしも高くなかったような気がします。
 赤頭巾さんのご意見は、淀川さんの社会的地位(ステータス)と「映画評論家」としての評価を混同しておられます。淀川さんはそのパフォーマンスが災いして若い頃は軽く見られ、お年を召されてからは逆にそれが愛すべき個性として珍重され、妙な持ち上げられ方をされていたような印象があります。年をとって回りから大事にされるようになることと、正当に評価されているかどうかという問題はまったく別です。
 映画評論の世界においても、文芸的でないものは評価されにくいといった風潮がありますが、私はそれを全面的に容認している訳ではありません。映画をダシにして妙な理屈をこねているだけの映画評論に比べれば、淀川さんの方がずっと楽しくて面白いしタメになると思います。
 ただ、言語表現として見た場合に淀川さんの批評はあまり洗練されているとは言えないのが低評価の理由だろうと考える訳です。(だからといって淀川さん本人が粋でないとか野暮ったいなどと言っている訳ではありませんよ。あくまで書かれたものについての話ですから勘違いしないで下さい。)
 その辺のことは、たとえば小林信彦さん、双葉十三郎さん、山根貞男さん、蓮実重彦さん、などの映画評論を読んでいただければ理解してもらえるのではないかと思います。あるいは、山根貞男さんと山田宏一さんがペアでインタビュアーをつとめた聞書き本などをご覧になっても分かってもらえるのではないでしょうか。
 次に、雷蔵・勝新の話ですが、私が言っているのは昔の話であり、それも勝さんがブレイクした昭和37年から昭和40年代前半(雷蔵は44年に死去)のことを言っているんです。現在では雷蔵さんの方が観客動員力は上でしょう。私も雷蔵さんの方が好きだから、雷蔵さんの魅力が再認識され高い評価を得ていることは嬉しいです。
 ただ、「座頭市」で大ブレイクした当時の勝さんは雷蔵さんを遥かに凌駕していたという事実まで歪めてしまってはいけないと思っています。「静」の雷蔵さんよりも「動」の勝さんの方が好きだという人は大勢いると思いますよ。現に私の友人・知人の中には勝さんファンが3人も(いずれも男ばかりですが)いました。彼等から見ると「静」の雷蔵さんは物足りないらしく、常にお山の大将でなければいられない性格の破天荒な勝さんは愛すべき存在のようです。勝さんの人気は未だに根強いものがあると私は思っています。
 「日本映画が女性ファンでもっていた」というのはどうでしょうか。ちょっと乱暴すぎる意見だと思いますね。「南極物語」(S58)に破られるまで興行収入第一位の記録を保持していた「八甲田山」(S52)は、観客の7割が男性だったと言われています。
 夏休みの家族連れ狙いや、前売り券の大量売りさばき、といった戦略&手段が常套化する前の、ある意味で掛け値無しのヒット作として、この「八甲田山」は最後の映画だったと言えるような気がします。女性客に頼らなくともヒットする映画は確実にあったんですよ。
 日本映画がダメになったのは、必ずしもファンがバカになったせい(洋画ばかりを有り難がるから)だとは思いません。それを言うならむしろ映画界や映画関係者の思い上がりの方が罪が重いのではないでしょうか。この問題はちょっと根が深いというか大き過ぎて手に余るので、またあらためて。

 


ありがとうございます - 2003/06/27 -
  
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 ジャンバールさん、いらっしゃい、ご来訪ありがとうございます。先日は「赤い夕陽」の方で迂闊な早とちり(勘違い?)から滑稽なカキコをしてジャンバールさんまで巻きこんでしまいました。あらためて失礼をお詫びします。さすがにその後は恥ずかしくて顔出しができません(笑)。
 千恵蔵・右太衛門の顔合わせ(にらみ合い)は東映オールスター時代劇に不可欠のシーンでしたね。(ただし「水戸黄門」の場合を除いてですが。)中でも有名なのが「任侠中仙道」における次郎長VS忠治の対決でしょうか。この場面では千恵・右太の顔がアップになる回数と長さ、セリフの数と長さ、などがすべて同じになるように編集されたというエピソードがあります。ウソかホントか知りませんけど、当時映画館でストップウオッチを手に時間を計ったところ、秒数までピッタリ同じだったなんていう話もありました。
 「日輪」(S28)は見ていないので外しますが、千恵・右太の顔合わせは、「赤穂浪士」(S31)では立花左近と大石内蔵助、「任侠清水港」(S32)では次郎長と大前田栄五郎、「旗本退屈男」では伊達綱宗と早乙女主水之介、「忠臣蔵」(S34)では大石内蔵助と脇坂淡路守、「怒涛の対決」では国定忠治と笹川繁蔵、(二度目の)「赤穂浪士」(S36)では大石内蔵助と千坂兵部、最終作「勢揃い東海道」では次郎長と山岡鉄舟、といったところでしょうか。
 ただ、ジャンバールさんと違うところは、千恵・右太の顔合わせシーンにあまりときめきを感じなかったことです(ゴメンナサイ)。関心はもっぱら橋蔵・錦之助・千代之介の役どころの方にありました。特に橋蔵さんがどこでどういう形で登場してくるか、いつもそれを楽しみに見ていたような気がします。
 今あらためて見直してみると、オールスター映画の両御大はものスゴイ威張り方をしているのが目につきますね、なんでこんなに威張っているんだろうかと思うぐらい(笑)。右太衛門さんは普段からどの映画でも大物風の芝居をするのが好きな人だからいいとしても、貫禄や凄味はあってもむやみに威張ったりしない千恵蔵さんまでが威張りまくっている(?)のは異様な感じです(笑)。対抗上、右太衛門さんに負けないようにと無理をして(?)いるんでしょうか(笑)。


鶴田浩二さんの時代劇 - 2003/06/28 -
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>ふくろうさん
 「非常勤社員」だなんて仰有らずに非常勤役員か非常勤講師を自称して下さい(笑)。このサイトではマスター・渡さん以外は皆「非常勤」です。
 今回は赤頭巾さんの代役で校正を少々・・・松の廊下で上野介(進藤英太郎)とすれ違うのは脇坂淡路守(右太衛門)です。したがってこれは「赤穂浪士」ではなくて「忠臣蔵」(S34)でした。錦之助が内匠頭を演じたときです。千坂兵部は米沢藩上杉家の家老で、「赤穂浪士」(S39)では若き日に大石内蔵助とは学友だったという設定になっています。なお、「血槍富士」の千恵蔵さんは槍持ちで正解です。
 鶴田浩二さんの時代劇を見るのは今回(「白馬城の花嫁」)が初めてですか?もし本当だとすれば「時代劇ど素人」はご謙遜ではないんですね(笑)。鶴田さんの佐々木小次郎、眠狂四郎、平手造酒、は見たことありませんか。東映入社する前に、松竹・大映・東宝と渡り歩いていた頃(S23〜35)から時代劇にも結構出ていますよ。
 そもそも高田浩吉さんの劇団で少年剣戟をやっていた人ですからデビュー作も時代劇なんです。その後は現代劇の方が多かったですけどね。「弥太郎笠」「柳生武芸帳」「戦国群盗伝」「天竜しぶき笠」とか、松竹や大映の「忠臣蔵」では毛利小平太や岡野金右衛門を演じています。
 東映移籍(S35.8)してからも「孤剣は折れず」「鳴門秘帖」「次郎長三国志」などに主演していますし、千恵蔵さんの遠山の金さんを継承した「いれずみ判官」なる作品まであります。
 東映任侠映画の看板スターになってからの鶴田さんは女の人にはあまり人気がなかったと思うけど、若い頃は軟派の色男タイプだったからモテたんじゃないでしょうか。健さんも任侠映画での人気はやっぱり男が中心でしょうね。
 任侠映画の鶴田さんは主演の時でも最後に死ぬことが結構あったけど、健さんはほとんどありませんでした。(ただし脇役の時や特別出演の時は大抵死んでましたけどね。)その意味でも対照的な芸風だったと思います。私はもちろん鶴田派でしたが、一番いれこんだのは「昭和残侠伝(唐獅子牡丹)」シリーズの池部良さんかな(笑)。健さんと池部さんのコンビは恐ろしいぐらい(?)ピタリと息が合っていましたね。「唐獅子牡丹」の歌が流れる中、二人揃って殴り込みをかけるシーンだけは何度見ても胸が熱くなります(笑)。


淀川さん、テレサ・テンさん、橋蔵さんの関西弁  - 2003/06/28 -
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 本題に入る前に訂正があります。「984」のカキコで「赤穂浪士」の年度が「(S39)」となっているのは「(S36)」の誤りです。慎んでお詫び致します。ちなみにS39はNHK大河ドラマの「赤穂浪士」でした。
>久里子さん
 関西のご出身なんですか。それならば関西弁のアクセントやイントネーションが本物かどうかすぐに分かりますね。私は関東なので丸出だめ夫ですが、「雪之丞変化」の橋蔵さんの関西弁は気になっていました。「ほぼ完璧で、しかも優雅」とは嬉しいお言葉ですね。お墨付きをいただいたような心地です(笑)。
 橋蔵さんと雷蔵さんがライバル、という話は私も真理子夫人の著書で読んだときにちょっと唐突な感じはしました。役者としてのタイプから云えばライバルでもおかしくはないんですが、東映と大映のカラーの違いもありますし、あまりそういう感じではなかったと思います。
 でも、昭和30年代初めの頃の平凡や近代映画などの特集記事では二人の対談などが結構目につきますね。歌舞伎時代からの知り合いで、顔を合わせれば親しく口をきく間柄であっても不思議はないと思います。
 また、錦之助さんと雷蔵さんが若手歌舞伎(武智歌舞伎?)時代から仲がよかったという話は読んだことがあります。二人とも割合にポリシーがあるというか、自分なりのハッキリした見識を持っているタイプなので十分納得できる話です。
 では橋蔵さんは?っていうことになりそうですが(笑)、厳しい芸道修行に耐え抜くだけの才能や根性ではめったに引けを取らないと思いますが、見識とかそれを表現する弁舌という点になるとやや物足りない面がありました。その昔テレビの「スター千一夜」などでインタビューを聞いたときの印象ですけれども。
 映画評論家の荻昌弘さんが「水戸黄門」(S32)の撮影現場を取材した時のレポートが別冊近代映画に載っているんですが、その中で錦・千代・橋蔵の3人を比較して、3人の中で年は一番若いけれども錦之助が一番落ち着いた印象を与えると書いています。荻さんの感想は、あの当時の3人の素顔のスナップ写真などを見ても十分想像がつくというか納得出来るんですね。
 「映画の友」はほとんど読んでいないんですけど、淀川さんとは「ララミー牧場」の付録の「西部こぼれ話」の時から毎週お馴染みでした。ロバート・フラーが来日したときは特別番組に振り替えて歓迎会の模様などを放映していましたね。
>雪さん、ととろねこさん
 テレサ・テンの歌がお好きなんですか。私はそれほど熱心に聞いた訳じゃありませんが彼女の歌は好きですね。一番好きなのは「空港」です。その後の「愛人」「つぐない」「時の流れに身をまかせ」のような歌はちょっと苦手というかあまり好きになれません。荒木とよひさの詞には抵抗を感じてしまってダメです。雪さんはいつもどれを歌っていらっしゃるのかな。

同じテレ屋でも・・・・ - 2003/06/28 -  
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>ジャンバールさん
 千恵蔵さんと右太衛門さんは歩き方も喋り方も全く対照的でしたね。仰有るとおりだと思います。いつも胸を張って肩をそびやかし気味に歩く右太さんに対して、千恵さんの方は心持ち前屈みに歩くような感じで。
 もう30年以上も前の話ですが、東映時代劇で斬られ役をつとめていた人(たぶん剣会のメンバーだと思いますが)がテレビのモーニングショーでお二人の殺陣の違いを話されたことがありました。それによると右太さんの場合は息を吸ったときに斬りかかるとタイミングが合うが、千恵さんの方は逆に息を吐いたときに斬りかかるのがコツだということでした。

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