※文中に呼びかけのためのお名前が登場しますが、掲示板からの転載のため当事者の方はご了承下さい。


■MENU (抜けを追加しました 9/11)

地獄と花と龍 ●
赤穂浪士とマイナーと  忠臣蔵  

名前の序列
  ●
日活映画あれこれ  書出しとトリ

赤頭巾ちゃん気をつけて ●錦之助さんの歌 

スカパー万歳! 年令のお話など  

ジョン・ウェイン、アラン・ドロン・・・

分け入っても分け入っても洋画???

追いかけて洋画??? 記録的大雨

またまた洋画で60年代  大雨が続きますが・・・・

祝!梅雨明け!  007は永遠に!(1)

007は永遠に!(2)

姫路城ロケ   塩酸事件、007、海の百万石   

鰻の幇間ではありませんが

★レギュラー1  2 3 4 5 6 7


     ------------------------

梅雨の晴れ間  - 2003/06/29 -

 本日の関東地方は梅雨の晴れ間で真夏日の暑さでした。今昔座の方もまるで冷房装置が故障したかのようで、もしかしたら電力不足???
>さくらさん
 「恋や恋なすな恋」のラストで石になってしまうのは保名(橋蔵さん)です。亡き恋人(榊の前)の面影を求めて彷徨う妄念の世界から逃れられずついには石と化してしまう訳です。シナリオでは、消えた狐葛の葉(瑳峨さん)を追って橋蔵さんも姿を消してしまうんですが、そこのところをあまりハッキリさせないで、現実とも幻想ともつかぬあいまいな形で表現したんではないでしょうか。
 詩吟のことはよく分かりませんし、橋蔵さんの詩吟の技量がどの程度なのかも知りませんが、吹き替えにするかどうかは、詠われる詩吟の内容とか、詩吟の使われ方によるんじゃないでしょうか。「月形半平太」の場合は立ち回りをしながらの朗詠があるからちょっと無理だったのかもしれませんね。それにこの映画は急遽決まった企画で、たったの2週間で撮ったものなんだそうです。その意味でも吹き替えの方が撮影を安全確実に進められたのかもしれません。

 「くれない権八」はビデオが発売になったときに私も本当に久しぶりで見て感激しましたよ。ラストの立ち回りで正義の刃をふるうような映画ばかりじゃなくて、こういう文芸調というかメロドラマ風のしっとりした作品もあったんだなぁと思いました。
 それから「修羅八荒」はおそらく「くれない権八」とほとんど同時進行で撮影されていると思いますよ。「くれない権八」の翌月が「修羅八荒」ですもん。両方とも橋蔵・右太衛門の共演で主客交代しているだけでしょ?初めから持ちつ持たれつ(?)で決まった企画じゃないでしょうか。髷の形が同じなのはそのせいかもね?
 「美男の顔役」では橋蔵さんも相当羽目を外していましたね。清川虹子さん相手に2度も3度も(笑)。これも一種の群像劇になっていますが橋蔵主演作として食い足りないようなことはなかったと思います。なんといってもラストの余韻が素晴らしいですしね。
 実はこの「美男の顔役」は「赤い影法師」よりも先に撮影され、当初は11月か12月(S36)に封切りの予定だったんですが、社内試写での評判がよかったため正月映画に回されたそうです。たしか錦之助の「瞼の母」と一緒でした。


>雪さん
 カラオケで人生観が変わりましたか。好きな歌や、歌いたい歌を心ゆくまで歌えるのは、ストレス解消のレベルを遙かに飛び越えて素晴らしいことです。よく分かります。カラオケ万歳!!ですね。
 北大路欣也さんが自殺するのは第2部の「仁義なき戦い 広島死闘編」です。シナリオを書いた笠原さんも、個人的心情という点ではこの作品がシリーズ中で一番好きだと云っていました。ぜひ第1部からご覧になること、および第3部「代理戦争」と第4部「頂上作戦」はこの順序で続けてご覧になることをオススメしておきます。
>ジャンバールさん
 時代劇の話が中心になっていますが、任侠モノや実録モノをシャットアウトしているわけではありません。そちらの分野に関しては(任侠モノはともかく実録モノは)それほど熱心に見てこなかったため思い入れも弱いし、カキコするにも拠り所がないので自分からすすんでカキコするのは遠慮しているだけです。
東映今昔座を時代劇専門館として使わせていただくだけではもったいない話ですから、任侠モノや実録モノがお好きな方にカキコしていただければ助かります。思いついたことを何でもお願いします。受ける方はナントカなりますし、受けられる範囲のことについては私も最大限リターンしますのでぜひ。
 NHK−BSの「小林旭 裕次郎を歌う」は私も見ています。また千恵蔵さんの「地獄」シリーズもほとんど見ています。その話についてはまた明日以降にでもカキコします。
>sanaeさん
 両御大の対談はジャンバールさんが云われている「晩年」のものでしょうか。そうでしたら私は見ていませんのでそのお話はぜひお願いしたいです。(私が見たのは昭和30年代末のフジテレビ「スター千一夜」のときで話の内容は全然記憶にありません。)
 それから別に私に断る必要はありませんので、書きたいことをどんどんカキコして下さい。話の重複はしょっちゅうありますし、私も自分の記憶だけに頼って書くことが多いですから間違いはお互い様です。あまりお気になさらずに。松田監督の「新吾」のときの話もよろしく。
>久里子さん
 橋蔵さんの談話(「弁舌」云々)について、私が云いたかったのは「口下手」というよりも話の内容の問題なんです。でもそれを云うと悪口に取られかねない(笑)ので、どうしようかと思って曖昧な書き方をしたあげく、皆さんの誤解を招いてしまったようです。
 橋蔵さんは家族やお互いに好意的な人間同士の間でなら相当おしゃべりな面があると思います。ただ、外部の人間に対して自分の考えや意思を的確に伝えられるかどうかという点になると、雷蔵さんや錦之助さんと比べてややシャープさに欠けていたような気がします。


地獄と花と龍・・・・- 2003/07/03-  TOP
>ジャンバールさん
 歩いて2,3分の所に映画街とは抜群の環境ですね。私の育ったところでも邦画6社の映画館と洋画専門館が(そう離れていない)2ヶ所に固まっていましたが、子供の足で7,8分はかかりました。
 千恵蔵さんのギャング物は楽しみでした。最初に見たのは「十三の魔王」で、次が「奴の拳銃は地獄だぜ」でしたが、期待して見るようになったのはその次の「無法街の野郎ども」からだったと思います。続いて「地獄の底までつき合うぜ」「二発目は地獄行きだぜ」「俺が地獄の手品師」だの3本で最高潮に達したというか(その間に「七つの顔の男だぜ」もありましたし)、私も夢中になって見ていたおぼえがあります。
 特に「二発目は地獄行きだぜ」の予告というかスポットは冴えていました。二丁拳銃を構えた千恵蔵さんが(黒いシルエットで)画面に現われバーン!と銃声一発、やや左斜めからの顔のアップにライトがあたるとドスの聞いた声で”二発目は地獄行きだぜ”とつぶやく千恵蔵さん。正月映画(それも第4週か第5週)だったので前年の12月からこのスポットを何回見せられたことか(笑)。友達とピストルごっこをするときにはいつもこのセリフとポーズを真似してました。
 実はこの「二発目」では相棒役の進藤英太郎さんが千恵蔵さんを食ってしまうほどの好演でとても印象に残っています。初めて進藤さんに注目した映画ですね。「手品師」でも進藤さんは大活躍ですね。千恵蔵さんや鶴田さんと一緒に刑務所から脱走して、3人で♪キャプテン・バッファロー♪とか歌を歌いながら歩くシーンがあったと思います。作品的にはこの「手品師」が一番面白かったような気がします。
 「アマゾン無宿」や「ヒマラヤ無宿」は見てないんですが、その次の「地獄の底をぶち破れ」や「裏切り者は地獄だぜ」が期待外れでガッカリしました。「太平洋のGメン」とか「ギャング忠臣蔵」は面白かったですけど、なぜ急に「地獄」ものがつまらなくなったのか、当時はもちろん気がつきませんでしたが、監督が小沢茂弘から佐々木康に変わっているので、その辺に原因があるのかなとも思いますが、現在の目でもう一度見直してみないことにはなんとも(笑)。
 「日本侠客伝 昇り龍」の前に「日本侠客伝 花と龍」もありましたね。健さんの玉井金五郎は見ていませんが、裕次郎さんのと錦之助さんのは見ました。裕次郎さんの「花と龍」は正月映画で小百合さんの「いつでも夢を」と一緒だったので仕方なく(笑)でしたが、これが意外に面白くて(笑)。どういう訳か岩崎加根子さんが印象に残っています。
 錦之助さんのは2部作になっていて、後編の方は「洞海湾の決闘」でした。裕次郎さんがどちらかというと青春物風だったのに対して、錦之助さんの方沖中士らしい迫力ときっぷのよさがあったと思います。悪役の佐藤慶さんに凄味があって嫌らしかったです。


赤穂浪士とマイナーと・・- 2003/07/03 -  
TOP
>ジャンバールさん
 聞くところによると「赤穂浪士」というのは大仏次郎さんによる命名で、この原作とそれに基づく映画が定着させた呼び名だそうですね。従来は「赤穂義士」という呼称が一般的で、「義士銘々伝」のようにも使われています。
 ですから映画にした場合でもいわゆる「忠臣蔵」とはちょっと雰囲気が異なるのが普通ではないでしょうか。(好みの問題は別にして)東映時代劇の代表作として取り上げる場合には、やはり昭和34年の正月映画「忠臣蔵」の方が妥当であろうと思います。錦之助さんが内匠頭を演じたやつですね。これが東映オールスターの真骨頂でもあり、正調の「忠臣蔵」に近いという気がするんですが。
 大映の「忠臣蔵」はどちらかというと個人のエピソードに重点を置いたストーリー展開ではないでしょうか。浪曲や講談でお馴染みの「赤垣源蔵徳利の別れ」や岡野金右衛門と大工の棟梁の娘の恋など。東映に比べて大映はスターの数が少ないのでこれも一つの方策かと。それに渡辺邦男監督の傾向として、泣く場面がやたらに多いのも特色でしょうか。それも一人で泣くだけじゃなく一度に何人も揃って(笑)。
 昭和36年の東映「赤穂浪士」はハッキリ言って好きじゃありません。理由はいくつかありますが、まず奇をてらい過ぎているというか、趣向を変えようとして不発に終わっています。「目と唇で訴えるシーンのオンパレード」というのがまさにそれで、完全な失敗作と言っても過言ではないと思います。
 もう一つの理由は橋蔵さんの内匠頭役が不出来だったことにこちらがいたく傷ついてしまい、それがトラウマにまでなってしまった(笑)ことです。それほどこの映画の橋蔵さんは不様というかひど過ぎたのですが、20年以上たってからビデオで再見したときに、この失敗が必ずしも橋蔵さんの責任ではなく、映画全体のチグハグさと切り離しては考えられない事に気がつきました。無言の演技に頼りすぎていることやミスキャスト(たとえば山形勲さんの片岡源五右衛門)などで、最初から最後まで作品全体の趣向が空回りしているとしか言い様がありません。
>久里子さん
 芸術家肌のお兄様の影響ですか。モニカ・ビッティといえばミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画に無くてはならない女優でしたね。「情事」「太陽はひとりぼっち」「赤い砂漠」等など。私はあまり好きじゃありませんでしたけど、一度見たら忘れられない鮮烈な雰囲気を持った女優だと思いました。
 マクシミリアン・シェルは「トプカピ」とか「誇り高き戦場」などでしょうか。他にもまだあったと思いますが思い出せません(笑)。知的な役が似合うシャープな感じの二枚目でした。
 雪・さくら論争(笑)でヤバイ感じ(?)になりましたが、私のアドレスにメールをいただければボランティア致しますので、よろしかったらいつでもどうぞ。
>ふくろうさん
 援護射撃的(?)フォローをありがとうございました。いつもお世話になりっぱなしで申し訳ありません。梅雨明けまでまだ不順な天候が続きそうですが、お体に気をつけてお仕事頑張って下さい。


忠臣蔵  - 2003/07/03 17:51 -  TOP
>ジャンバールさん
 「ギャング忠臣蔵」と「多羅尾伴内」シリーズはビデオが出ましたけど「地獄」モノはほとんど出ていないようですね。私も当時見ただけのものがほとんどで、テレビで見たのは「地獄命令」「最後の顔役」「太平洋のGメン」ぐらいです。
 松竹の「忠臣蔵」は歌舞伎のスタイルにとらわれ過ぎていて古臭い感じがしました。また、東宝の「忠臣蔵」はスターの層も厚くて豪華ですが、セットにお金をかけて物量作戦に比重がかかり過ぎているというか、スターの個人プレーを堪能しにくい面があると思いました。スター主義の「忠臣蔵」を楽しみたい人にとってはややガッカリでしょう。
 以上、思いつきの「忠臣蔵」短評ですが、私の独断と偏見に基づくものであり、批判は感受します(笑)。結論として、やはり東映と大映のものが一番楽しめることは間違いないようです。
 スターの独立プロばやりで、豪華共演映画がいっぱい作られましたね。「黒部の太陽」「御用金」「風林火山」「祇園祭」「尻くらえ孫市」「座頭市と用心棒」等など、そしてお話に出た「待ち伏せ」あたりが最後だったでしょうか(「祇園祭」以外は全部見ています)。
 その意味でも「待ち伏せ」における錦之助の損な役回り(カッコ悪い役人)は象徴的でしたね。当時の週刊誌などでもかなり揶揄的に扱われた映画です。でもあの顔ぶれの中であの役が出来るのは錦之助しかいなかったことも事実でしょう。決して恥ではないと思うのですが、スター同志の共演は役回りの軽重の調整が難しいですからね。どのスターも役不足になるのを嫌いますし。
>sanaeさん
 千恵・右太の対談はおっしゃる通りTBSの「素晴らしき仲間」ではないかと思いますが、もう千恵蔵さんの最晩年ですね。もちろん私は見ていませんが、松方弘樹・山城新伍・東千代之介などが集まって対談した回は覚えています。
 戦前のスター独立プロはたいてい一年かそこらで消えて行くことが多い中、千恵プロは例外的に長命で4年ぐらい続いたという話は聞いた事があります。稲垣浩、伊丹万作などの有能なスタッフに恵まれたことが大きかったのかもしれません。
 東映で主に橋蔵作品を手がけていた中村有麟プロデューサーの話によると、当初「新吾十番勝負」の映画化権を取った時は橋蔵さんのための企画ではなかったんだそうです。では誰の?ということは明かしていませんが、この企画は橋蔵さんにこそ相応しいということで、あとから中村氏が提案して譲り受けたという話です。

名前の序列  - 2003/07/04 -   
TOP
 東映の場合オールスターやセミオールスター映画で、タイトルの最初に名前が出る人とラストに名前が出る人は同格です。通常は主演スターの方を最初に持ってくるのですが、「赤穂浪士」(S31)や「任侠清水港」(S32)では逆になっています。
 それは主演でない方を先に持ってくる事でバランスを取ろうとしたからです。千恵・右太の両御大に対してそういう気の使い方をしていたようで、当時のマキノ光雄専務の方針だったそうです。そのために立花左近(千恵)が大石内蔵助(右太)よりも前に、大前田(右太)が次郎長(千恵)よりも前に、なっているんだそうです。
 マキノ氏没(S32)後はそれを止めたので、以後は主演の方がトップ、脇の方がラスト、という配置になっています。それにしても「赤穂浪士」なのに立花左近の役者の名前がトップにきているというのは確かに違和感がありますよねぇ。私もビデオで見たときにビックリしました。昔はそれくらい役者の序列というものに気をつかったんでしょうね。

日活映画あれこれ   - 2003/07/05 -  TOP
>松岡さん
 ご無沙汰してます。昭和20年代の三船敏郎さんの登場はリアルタイムで見ていた人達には衝撃的というか鮮烈な事件だったんでしょうね。私などは頭では理解できても実感としてはまるで分かりませんが。でも三船さんは後年のどっしり構えた重々しい役柄よりも、「七人の侍」のような精悍&剽軽な役の方がずっとお似合いだし上手だと思います。
 三船さんもよく見れば結構整った顔立ちなんですけど、上原謙・長谷川一夫といったそれまでの二枚目タイプとはまったく違う、悪役でも十分使えるような凄味と精悍さを感じますね。二枚目の型を破ったという点ではスティーブ・マックイーンより早かったといえるかも(笑)。
 男っぽいタイプの二枚目ほどコミカルな演技(三枚目的な役柄)に味があるというのは同感ですね。もともと器用なタイプでないだけに却っておかしさが出るんでしょう。乱暴な分け方ではありますが、真面目にやればやるほど可笑しいというタイプと、自分から悪ふざけ型のタイプとがあるような気がします。
 千恵蔵さんのギャングもので免疫が出来ていた(?)せいかどうかは判然としませんが、「国籍不明のアクション映画」といわれた日活アクションにしても当時小学生の私は抵抗なんか全然感じませんでしたし、「荒唐無稽」とかそんな意識もまったくなかったです。いつの時代でも子供にとってはそんなものかもしれないなぁという気がしますね。いい意味で、何でも抵抗なく受け入れてしまうというか、常識にとらわれないうか、悪い意味ではもちろん「無知」のせいだということになってしまうんでしょうけど。
 「幌馬車はゆく」「大草原の渡り鳥」「俺の故郷はウエスタン」にしてもバカらしいとか思わなかったし、全然抵抗も感じなかったし、むしろ憧れの気持で見ていた(笑)ことだけは間違いありません。それは多分にタイトルの格好良さやセンチメンタルな響きにも影響されていたんでしょう。「霧笛が俺を呼んでいる」とか「口笛が流れる港町」とか「渡り鳥いつまた帰る」とか、日活映画のタイトルはコピーとしても抜群でしたね。「六三制愚連隊」「海峡血に染めて」「男の怒りをぶちまけろ」「都会の空の用心棒」「海の情事に賭けろ」等々。
 「渡り鳥」シリーズではキャバレーやバーのカウンターの上をウイスキーの瓶が簡単にスーッと滑っていくのに驚きました(笑)。あんなに勢いよく(乱暴に)やってよく倒れないなぁと思って(笑)。私の経験では食堂とか寿司屋のカウンターぐらいしか知りませんから、とてもそんなことが出来るとは思えなかった(笑)。家に帰って父に聞いてみたら、いい店の高級なカウンターなら出来ると言われました(笑)。そういう店は東京のようなところでなければ無い、とも言われたような気がしますがもはや遠い記憶の彼方。
 また、酒の入った瓶に火をつけるとまるで火炎ビンのように燃え上がるのにもビックリしたものです。ウオッカやジンのようにアルコール分の多い酒なら燃えると、これまた父に教わりました。神業のような(?)カードさばきにしても、あれはプラスティックのようなもので出来ているトランプでないとダメだ、とも言われました。
 てなわけで、とにかく社会勉強にもなった日活アクション映画でした。東映時代劇しか知らない子供が足を踏み入れれば当然でしょうけど。「六三制」の言葉とその意味も和田浩治さんのあの映画ではじめて知りました。それがどうして「愚連隊」と結びつくのか、こればかりはさすがに笑っちゃいましたけどね。でも素晴らしいタイトル!!!

書出しとトリ   - 2003/07/08-  TOP
 書出しとトリが同格じゃないって?そりゃそうでしょうよ。必ずしも同格とは限りませんからね。それに書出しの方が格上だと決まっている訳でもないし、トリの方が格上という場合だってあることをお忘れなく。
 私が「書出しとトリは同格だ」と言ったのは、あくまでも東映オールスター映画の千恵・右太についての話です。「赤穂浪士」の映画なのに、なぜ脇役に過ぎない千恵(立花左近)が書出しで大石役の右太がトリなのか、というふくろうさんや雪さんの疑問に答える形で書いているんです。主役をわざわざトリに回し、主役でない方を書出しに持ってくることで「バランスをとった」ということの意味がお分かりでしょうか?要するに名前の順番は、役者としての序列と、その出し物で演じる役どころ(主役か脇役か)との兼ね合いで決まるものです。
 もちろん、その兼ね合いを無視した不自然な順序になることもあるでしょう。それは役者同士のメンツが原因の場合もあれば、営業政策上の都合でそうなることもあると思いますよ。
 話の前提や筋道をきちんと踏まえて、論点を正確に把握した上でお願いします。いくらネット上のお気楽カキコ(?)とはいえ、反対意見や否定的見解を打ち出すからにはもう少し責任感を持って書いて下さい。
>雪さん
 横書きで左右に並べる場合には左側が格上ですよ。縦書きの場合は右側の方が格上です。ただ、千代之介をサンドイッチにする形では千代之介が錦・橋のクッション(緩衝材)に使われた(?)ということも考えられるかもしれません(笑)。両端の方が目立つ事は確かですし、実質的には錦・橋の方を優遇していると思いますが、橋蔵より右に並べる事で先輩スターとしての顔を立てているのではないでしょうか。この3人の名前の並べ方も時期によって少しずつ変化していきました。
 宮沢りえさんが降板したのは確か「激やせ」の方が主な原因じゃなかったでしょうか。序列の問題は口実に過ぎなかったような気もしますが記憶が定かではありません。婚約解消の騒ぎの後で見るに忍びない感じでしたがよく立ち直って回復しましたね。彼女の「蔵」もぜひ見たかったですが、やはりテレビの松たか子さんがハマリ役でした。

赤頭巾ちゃん気をつけて - 2003/07/09 -  TOP
 快傑赤頭巾さん、庄司薫さんよろしく逃げ出そうたってそうはいきませんよ。カオルくんの方は「さよなら快傑黒頭巾」ですからね、赤頭巾さんは所詮逃げられない運命にあるんですよ(笑)。覚悟はいいですか?
 あらためて赤頭巾さんのカキコ(1052)を拝見して非常に驚いています。随分一方的に右太衛門さんの肩を持っていらっしゃるんですね。二人の序列を巡る問題の責任がすべて千恵蔵さんの側にあり、問題への対処の仕方も千恵蔵さんの方が悪いと言わんばかりじゃないですか。自分の書いていらっしゃることがどういうことかお分かりですか?そこまで断定的におっしゃるからにはその根拠を明白にしていただきたいですし、根拠を明らかにする責任が赤頭巾さんにはあると思いますが、いかがでしょうか。
 千恵・右太の扱いが難しかったのは、スタートしての功績や人気が甲乙つけがたかったというようなことだけではなくて、年令的には千恵の方が4歳年上だが映画界入りは右太の方が1年早かった、ということにも起因しているようです。千恵には長幼の序からいって自分の方が目上だという意識があったでしょうし、右太にしてみれば映画界では自分の方が先輩だという気持があったことでしょう。だからこそ周囲も扱いに気を使い対応に苦慮したのではないでしょうか。
 赤頭巾さんと違って、私は業界の関係者となんの接触もないし、直接話を聞けるような立場でもありませんから、間接的な資料と自分の推測だけに基づいて書いていますし、そのことはきちんと弁えているつもりです。
 赤頭巾さんは関係者から話を聞く機会などもあったのでしょうが、話してくれた人がどういう立場の人であったかによっても受け止め方や印象・判断などが異なるのではないでしょうか。様々な話を総合的に判断して、公平な立場から少しでも客観的な真実に迫るというのは大変な作業だと思います。たとえ関係者の話であってもうっかり鵜呑みには出来ない事を肝に銘じるべきでしょう。
 右太衛門さんの方が(考え方が)「千恵蔵に比べて大人であった」とか、「千恵蔵が大人げなかった」というような云い方は、千恵蔵さんを一方的に貶めるものであり千恵蔵さんの名誉にも関わる問題ですよ。「赤穂浪士」の書出し(立花左近がトップになっている)のが千恵蔵さんのゴリ押しによるものだと決めつけているのと同じなんですよ。そこまでハッキリおっしゃるからには根拠を明確にして話をすべきではありませんか?
 もちろん、それ(千恵蔵さんのゴリ押しが引きがねになったこと)が事実であれば「赤穂浪士」の件については納得します。けれども、だからといって序列をめぐる確執の原因(責任)の全てが千恵蔵さんの側にだけあるなどとは到底考えられません。私としては、どっともどっちであったというのが真実に近いだろうと思っています。

錦之助さんの歌  - 2003/07/11 -  TOP
 雪さん、久里子さん、お揃いで(?)錦ちゃんが初恋の人ですか。異性に関してあれこれと目移りするのは人の常、世の習い、というより自然の摂理かもしれませんね。私だって女優に関しては目移りの連続でした。橋蔵ファンでありながら錦ちゃん病(好きというのとはちょっと違いますが)にかかってフラフラしていたこともありますし(笑)。
 「(錦ちゃんのことを)語る資格がない」なんてことはないと思いますよ。そんなことをおっしゃらずにいくらでもどうぞ。雪さんという良い手本(?)がありますので大いに見習って下さい(笑)。
 錦ちゃんが吹き込みをした歌が何曲あるのか分かりませんが、私が知っているのは「やくざ若衆」だけです。「越後獅子祭り やくざ若衆」の中で歌われていました。ヤフオクにも時々当時のSP盤(コロムビアレコード)が出ていますね。B面が島倉千代子の歌になっています。
 あと10年ぐらい前にコロムビアから出たCDで、映画俳優の歌を集めたアルバム(タイトルは忘れましたが1枚モノのCD)にも「やくざ若衆」が収録されていました。
 橋蔵さんの歌は、デビュー盤のSP(「泣きとうござんす/江戸っ子囃子」)と、8曲入りの10インチLP「橋蔵(トミー)大いに歌う」(S36)を持っています。いずれもヤフオクで集めました。
年令のお話など   - 2003/07/12 -
 ととろねこさんが一番年下かどうかは疑問ありです。sanaeさんはずっとお若い方だと思われますし、ジャンバールさんも意外にお若い方なんじゃないでしょうか。ジャンバールさんはスティーブ・マックイーンの「ネバダ・スミス」を「子供の頃劇場で見た」と仰有っています。「子供の頃」という表現を常識的に判断すれば「小学生の時」と解釈できるので、ととろねこさんと同年かあるいはもう1,2年下かも分かりませんね。えっ、私ですか?私は高校生でしたけど(笑)。
 「修羅時鳥」の田代百合子さんはそんなに物足りないですか。たしかにあまり表情が豊かな方ではないし、やや華やかさに欠ける面があるのも確かですが、この頃はもうやる気をなくしていたのかもね(笑)。「修羅時鳥」の後2本ぐらいで東映を辞めてしまいました。時代劇で主演スターの相手役ばかり(3〜4年も)させられていることに不満があったようです。ただ今回久しぶりに田代さんの映画を見て、意外に暗い感じのするところがある人だったんだなぁと思いましたけど。
 顔のズームアップが多いのは東映時代劇の特徴の一つかもしれませんね。物語の展開の仕方やテンポなど、まだ古めかしさが残っていました。あの入り方では主人公が登場するまでの導入部が長くなりすぎるのも仕方がないでしょう。
 松風利栄子さんは宝塚の出身で、この「修羅時鳥」がデビュー作じゃなかったかと思います。その後は年増の役ばかりで、それも悪役とか憎まれ役がほとんどだったような気がします。
 鶴田さんも裕次郎さんと同じ年(1987)に亡くなったというのにねぇ、テレビでも特集番組にはとんとお目にかかりません。東映ヤクザ映画ではマズイなら他にいくらでも放映できる作品はあるじゃないですか。
 鶴田さんの歌は高校1年の時に昔のヒット曲集(LP)を知人から借りて聞きました。昭和20年代末から30年代初頭にかけてのヒット曲がほとんど入っていて、はじめて聞く歌ばかりでした。弥太郎笠、ハワイの夜、花の小次郎、さすらいの舟唄、さすらいの湖畔、東京詩集、街のサンドイッチマン、好きだった、赤と黒のブルース、等々。
 声がいいのと歌の上手いのにびっくりしました。どの歌も10回以上は聴きましたかねぇ。歌詞も1番から3番まで全曲覚えてしまって日記にも書きつけた覚えがあります。鶴田さんは昭和30年代半ば頃には歌から遠ざかっていた時期もあり、東映移籍後はまたボチボチ歌い始めていたようで、任侠映画で人気爆発してからはレコード吹き込みやテレビ出演も多くなりますが、私がそのレコードを聴いた頃は馴染みが薄くなっていたんですね。だから鶴田さんがあんなに歌が上手くて、しかもいい歌をいくつも持っていたとは知らずびっくりしました。
 ♪夢が夢呼ぶ男の旅の♪なぜに袖引くいとしや野菊♪花の小次郎剣(つるぎ)に賭けて♪どこがわが身の、どこがわが身の置きどころ♪これは「花の小次郎」でした。哀調を帯びたメロディーで鶴田さんの声がとても哀しく聞こえる印象的な歌です。
 ♪年に一度の靖国詣で♪集まる仲間は少ないが♪遙か南の特攻基地で♪眠るか戦友(とも)は安らかに、安らかに♪これは1番しか覚えていませんが昭和47年(?)の「戦友(とも)よ安らかに」。
 お馴染みの「傷だらけの人生」や「男」の他にも「忘れじのブルース」「名もない男のブルース」「リーサに逢いたい」「惚れた」「日陰者」「望郷の街で」等々、昭和40年代の鶴田さんの歌はどれも味があってよかったです。

 

スカパー万歳!   - 2003/07/12 -  TOP
 
久里子さん、スカパーに加入して東映チャンネルを契約すれば東映通になれるのは時間の問題(?)ですよ。ただ橋蔵さんの映画は月に3〜4本が普通のようで5本も10本も放映してくれるわけではないようですが(笑)。お近くに東映時代劇のビデオをたくさん置いてあるビデオレンタル店とかあればそれを借りまくるのが一番の近道かもしれません。ととろねこさんはその方法で速攻学習&急成長(?)されたようです。
 もちろん東映チャンネルだけじゃなくて、チャンネルneco、衛星劇場、日本映画専門チャンネル、時代劇専門チャンネルと、邦画だけでも全部はとても見切れないほどの量です。
 久里子さんとは同い年ぐらいかなと思っていましたけど、私よりも少し年長でいらっしゃいますか。錦ちゃんブームの洗礼を受けているとしたらそうかもしれませんね。私のカキコから推測しての結論だと思いますからたぶんその通りなのでしょう。
 プレスリーの映画も小学生から中学生の頃にかけて何本も見ました。全然好きじゃなかったから彼の映画を目当てに行ったことは一度もありませんでしたが、3本立ての併映で仕方なく(イヤというほど)見るハメに。一番最初はたしか「燃える平原児」でした。このときは記録映画「わが闘争」との併映です。その後は「GIブルース」「嵐の季節」「ブルー・ハワイ」「ガール・ガール・ガール」「夢の渚」「アカプルコの海」「ラスベガス万才」「ハーレム万才」など。
 唯一自発的に見に行ったのが「エルビス・オン・ステージ」でした。忘れもしない東京の丸の内ピカデリーで昭和46年春のこと、ちなみにその次のロードショーが御存知「ある愛の詩」でした。予告編を見たときにはまさかあんなに大ヒットするとは思いませんでしたけど・・・”愛とはけっして後悔しないこと”。
対す

年令のお話など- 2003/07/12 17:41   TOP
 ととろねこさんが一番年下かどうかは疑問ありです。sanaeさんはずっとお若い方だと思われますし、ジャンバールさんも意外にお若い方なんじゃないでしょうか。ジャンバールさんはスティーブ・マックイーンの「ネバダ・スミス」を「子供の頃劇場で見た」と仰有っています。「子供の頃」という表現を常識的に判断すれば「小学生の時」と解釈できるので、ととろねこさんと同年かあるいはもう1,2年下かも分かりませんね。えっ、私ですか?私は高校生でしたけど(笑)。
 「修羅時鳥」の田代百合子さんはそんなに物足りないですか。たしかにあまり表情が豊かな方ではないし、やや華やかさに欠ける面があるのも確かですが、この頃はもうやる気をなくしていたのかもね(笑)。「修羅時鳥」の後2本ぐらいで東映を辞めてしまいました。時代劇で主演スターの相手役ばかり(3〜4年も)させられていることに不満があったようです。ただ今回久しぶりに田代さんの映画を見て、意外に暗い感じのするところがある人だったんだなぁと思いましたけど。
 顔のズームアップが多いのは東映時代劇の特徴の一つかもしれませんね。物語の展開の仕方やテンポなど、まだ古めかしさが残っていました。あの入り方では主人公が登場するまでの導入部が長くなりすぎるのも仕方がないでしょう。
 松風利栄子さんは宝塚の出身で、この「修羅時鳥」がデビュー作じゃなかったかと思います。その後は年増の役ばかりで、それも悪役とか憎まれ役がほとんどだったような気がします。
 鶴田さんも裕次郎さんと同じ年(1987)に亡くなったというのにねぇ、テレビでも特集番組にはとんとお目にかかりません。東映ヤクザ映画ではマズイなら他にいくらでも放映できる作品はあるじゃないですか。
 鶴田さんの歌は高校1年の時に昔のヒット曲集(LP)を知人から借りて聞きました。昭和20年代末から30年代初頭にかけてのヒット曲がほとんど入っていて、はじめて聞く歌ばかりでした。弥太郎笠、ハワイの夜、花の小次郎、さすらいの舟唄、さすらいの湖畔、東京詩集、街のサンドイッチマン、好きだった、赤と黒のブルース、等々。
 声がいいのと歌の上手いのにびっくりしました。どの歌も10回以上は聴きましたかねぇ。歌詞も1番から3番まで全曲覚えてしまって日記にも書きつけた覚えがあります。鶴田さんは昭和30年代半ば頃には歌から遠ざかっていた時期もあり、東映移籍後はまたボチボチ歌い始めていたようで、任侠映画で人気爆発してからはレコード吹き込みやテレビ出演も多くなりますが、私がそのレコードを聴いた頃は馴染みが薄くなっていたんですね。だから鶴田さんがあんなに歌が上手くて、しかもいい歌をいくつも持っていたとは知らずびっくりしました。
 ♪夢が夢呼ぶ男の旅の♪なぜに袖引くいとしや野菊♪花の小次郎剣(つるぎ)に賭けて♪どこがわが身の、どこがわが身の置きどころ♪これは「花の小次郎」でした。哀調を帯びたメロディーで鶴田さんの声がとても哀しく聞こえる印象的な歌です。
 ♪年に一度の靖国詣で♪集まる仲間は少ないが♪遙か南の特攻基地で♪眠るか戦友(とも)は安らかに、安らかに♪これは1番しか覚えていませんが昭和47年(?)の「戦友(とも)よ安らかに」。
 お馴染みの「傷だらけの人生」や「男」の他にも「忘れじのブルース」「名もない男のブルース」「リーサに逢いたい」「惚れた」「日陰者」「望郷の街で」等々、昭和40年代の鶴田さんの歌はどれも味があってよかったです。


ジョン・ウェイン、アラン・ドロン、マックイーン、ブロンソン  - 2003/07/12 - TOP
 ジョン・ウェインは洋画の方で最初に好きになったスターです。初めて見たのは「騎兵隊」(J・フォード監督)でした。ジョン・ウェインといえば西部劇か戦争物という感じですが、「静かなる男」や「ハタリ!」のような異色作もあり、晩年には「マックQ」とか「ブラニガン」のような刑事物もありました。「駅馬車」から「ラスト・シューティスト」まで心に残る作品がいくつもありますが、西部劇だけで5本選ぶとすれば「赤い河」「黄色いリボン」「リオ・ブラボー」「リバティ・バランスを射った男」「ラスト・シューティスト」。西部劇以外では「静かなる男」「硫黄島の砂」「ハタリ!」。
 ジャンバールさん、大林宣彦監督が書いた「ムービーランドの子守唄」という本はお読みになったことありますか。西部劇のあれこれやジョン・ウェイン、ゲーリー・クーパーなどについて書かれていて面白い本でした。
 アラン・ドロンはスター別にみると、洋画の中ではその出演作を見た数が一番多い俳優です。(邦画ではもちろん橋蔵さんがダントツですが、主演作に限らなければ丘さとみさんの方が多いかも?)とにかく60年代から70年代にかけてはフランス映画といえばアラン・ドロン、いや洋画の代名詞といってもいいほど作品が多かったような気がします。最初に見たのは「若者のすべて」でした。
 フランス本国ではベルモンドの方が人気があるとか、インテリには相手にされないとかナントカくだらないイチャモンばかりつけられていたけど、私にとってはベルモンドよりずっと魅力がありました。好きな作品を5つ選べば「冒険者たち」「サムライ」「太陽がいっぱい」「地下室のメロディ」「さらば友よ」ですね。
 チャールズ・ブロンソンといえば、アラン・ドロンの相手役(引き立て役?)をつとめた「さらば友よ」で主役のドロンを完全に食ってしまうほどの好演を見せたのがなんといっても印象に残っています。それまでハリウッドの地味な脇役でしかなかったのが、これ1本で、しかも47才にして世界のトップスターに躍り出たという特筆すべき出来事でした。
 この映画は東京・日比谷映画のロードショーで見ましたが、あのときは本当にびっくり&感激でした。映画の最初の方(外人部隊の一員として引き上げてくるくだり)ではあまり冴えない従来のブロンソンなんですが、ドロン(医者)が務めるビルの地下室へ押しかけてくるあたりから変身しはじめます。真ん中あたりで警察に捕まってからラストまでのブロンソンの演技は冴えていて素晴らしかったです。もう大化けもいいところ。
 その次にやはりフランスで撮った「雨の訪問者」(ルネ・クレマン監督のサスペンスもの)も秀逸でブロンソンの魅力が全編にあふれていました。おっとその前に、ハリウッドに凱旋して(?)撮った筈の「アドベンチャー」は何故かトニー・カーチス主演でブロンソンは脇役、なんだコリャ?って感じでこれまたビックリさせられたものです。
 大ブレイクする前のブロンソンの記憶は「荒野の七人」から始まっています。「大脱走」「テキサスの4人」「特攻大作戦」「戦うパンチョ・ビラ」などに脇役で出ていたのが印象に残っています。「荒野の七人」はブロンソンの他にもスティーブ・マックイーン、ジェームズ・コバーン、ロバート・ボーン、など後にスターとなる俳優が目白押しでした。
 ブロンソンがスターダムにのし上がったおかげで「荒野の七人」は昭和46年にリバイバル公開され、このほど閉鎖された東急文化会館の渋谷パンテオンで見た思い出があります。マックイーンやブロンソンの名前や写真ばかりが大きく扱われ、制作時はトップスターだったユル・ブリナーの扱いが極端に小さくなっていたのには苦笑させられました。
 スティーブ・マックイーンはテレビの西部劇「拳銃無宿」で有名になりましたが、私が最初に見た映画はなぜか「ガール・ハント」です。「ボーイ・ハント」(こちらはコニー・フランシス)のヒットにあやかって作られた映画ではないかと思います。その次が「戦う翼」だったか「突撃隊」だったか、定かではありませんがやはり「大脱走」が決定打でしょうか。でも小品の「雨の中の兵隊」のようなユーモラスな映画にも(あまり大物にならない頃のマックイーンの)捨てがたい味があります。劇場で最後に見たのは「トム・ホーン」でした。遺作の「ハンター」はレンタルビデオで見ましたけど・・・以上駆け足カキコです。 


分け入っても分け入っても洋画??? - 2003/07/19 -  TOP
 大分前のカキコで賞味期限切れの感ありですが、遅ればせながらまとめてレスを・・・
>ジャンバールさん
 ギャバン&ドロンの件はそういう意味で言ったんじゃありません。基本的にジャンバールさんと同じ意見なんです。ただギャバンの重厚さの前ではなお一層軽っぽしく見えたと言いたかっただけです。「暗黒街のふたり」はタイトルから受けるイメージと実際の中身が一致しませんね(笑)。
 「ネバダ・スミス」のブライアン・キースはよかったですね。言われて思い出しましたよ。60年代前半までは割とよく西部劇に出ていた俳優だと思うけど見た数は少ないです。題名を思い出せるのは「荒野のガンマン」ぐらい。
 「レッド・サン」の三船敏郎さんはいかにも外国人の目(青い目)から見た侍(サムライ)という感じで、戯画的に誇張され過ぎている部分もあったりして、日本人には少々不愉快な描かれ方でした。ヒーローはブロンソンで、ドロンは完全に悪役だったと思います。
 ブロンソンの「狼」シリーズはそんなに沢山ありましたか?私が覚えている(見たことがある)のは「狼の挽歌」と「狼よさらば」ぐらいです。「狼よさらば」はアウトローものではなくて、普通の一般市民が復讐の鬼となって殺人を繰り返す話でしたね。当時ニューヨーク派とか言われたマイケル・ウィナー監督の作品だったと思います。
 「18才未満お断り」が分岐点とはこりゃまた随分高いレベルに基準を置いていますね(笑)。年令予想が外れるのも当たり前(?)。それにしても懐かしい言葉ですね「成人映画」って。映画産業の斜陽化が決定的になってきた昭和30年代後半から急激に増え始めたので、中学生の私はこの文字を見るたびに胸がドキドキしたものです。
 でも、佐久間良子さんの「五番町夕霧楼」を見ようと思って行ったら「成人映画」だったのにはびっくりしたなぁもぅ。切符売り場の窓口を見たら料金表に「大人」と「学生」しか表示されていないので思わずハッとしましたね(笑)。慌ててその場を離れましたよ。
 でも全然納得できなかったなぁ。予告編や広告でも、新聞の映画評でもそんなことにはまったく触れていなかったし、もちろん「エロ映画」としての「売り」など微塵もありませんでした。「なぜだぁ!」と叫びたい気持を抑えて、くやしまぎれに新聞広告をよく見直してみたら隅っこの方にごく小さな文字で「成人映画」と書いてあるにはありましたけどね、まったく騙されたような気分でした。恥をかかされた怨みは深い(笑)。
 最後は邦画になってしまいましたが、このあともまた洋画でおつきあいを・・・。

 

追いかけて洋画??? - 2003/07/19 - TOP
 休み休みしながら長いカキコをしている内に久里子さんとさくらさんの2連発が届いていましたので、ちょっと寄り道を。
>久里子さん
 長谷川裕見子さん(お鯉の方)は大正15年のお生まれなので橋蔵さんよりも3つ年上です。普通なら母子を演じられるような年齢差ではありませんが、対面シーンがほとんどないせいか(?)違和感はありませんでしたね。6つ年下の錦之助さんとは恋人役を何度もつとめているのに、橋蔵さんの場合だとなぜか年増の横恋慕が多かったようで(笑)。
>さくらさん
 「人斬り笠」の橋蔵さんはきれいでしたか。同じ年の映画でも作品によって受ける印象がかなり違うことはあるようで、30を過ぎてからでもきれいに撮れているものは結構ありますね。「江戸っ子肌」で見せた粋でいなせな男ぶりにはしっとりとした美しさも加わっていて絶品でした。
>雪さん
 アラン・ドロンは映画の中で最後に死んでしまうことが実に多かったような気がします。思いつくままにあげてみても「冒険者たち」「サムライ」「シシリアン」「暗黒街のふたり」「仁義」「ジェフ」「ビッグガン」「スコルピオ」「高校教師」「さすらいの狼」「泥棒を消せ」「世にも怪奇な物語」などです。(記憶違いもあるかもしれませんが。)
 「ウエストサイド物語」のトニー役はリチャード・ベイマーで「アンネの日記」の男の子です。「史上最大の作戦」にも出ていましたが、その後はあまり見かけませんね。「アンネの日記」のヒロインはミリー・パーキンスでしたが、アンネの役は最初オードリー・ヘップバーンに話があったんだそうです。でもオードリーは第二次大戦中にレジスタンスの手伝いをした経験があり、ユダヤ人の援助にも関わったことがあるらしくて、アンネ役は自分にとってあまりにも生々しすぎて演じられないということで出演を断ったそうです。戦後まだ10年か11年ぐらいしか経っていない時期ですからね。(ちなみにオードリーは橋蔵さんと同い年の1929年ベルギー生まれでした。)
>久里子さん
 ATGなき後は岩波ホール(神田神保町)で立て続けに名画が上映された時期がありましたね。エキプ・ド・シネマの手で公開された映画を昭和50年代半ば頃よく見に行きました。「家族の肖像」「緑色の部屋」「ピロスマニ」「白夜」「木靴の樹」「旅芸人の記録」等々。客席に寺山修司さんや木下恵介さんの姿を見かけたこともあります。(寺山さんは高橋ひとみさんらしき?女の子と一緒でした。)
>ととろねこさん
 「卒業」は高校卒業直後のGWに「パリのめぐり逢い」(イヴ・モンタン、キャンディス・バーゲン)と2本立で見ました。一番驚かされたのはアン・バンクロフトです。中学生の時に見た「奇跡の人」のサリバン先生役のイメージが断然強かったし、これでアカデミー主演女優賞に輝いた人がなんでこんな醜悪な中年浮気女(笑)を?って感じでしたよ。
 「ある愛の詩」も今となっては懐かしさばかりが先に立ってしまう映画です。最初から最後までどの会話もみんな調子がよすぎるところなど気に入らないんですが、昨今のトレンディドラマの先駆けみたいなものでしょうか。妙に深刻な(文学的な?)恋愛ドラマでなく、スピーディな言葉のやりとりを楽しむラブ・ストーリーが歓迎される時代になりつつあったのかもしれませんね。後追いの結果論的言説に過ぎないのを承知の上で言えば。アリ・マックグローの大学青春恋愛ものでは「さようならコロンバス」というのもあったような気がします。
 「カザノバ」ではなくて「カサノヴァ」でしたね(笑)、訂正をありがとうございます。「アラン・ドロンのゾロ」も懐かしい。これはシルビア・クリステルの「卒業試験」と一緒に見ました。この年は「暗黒街のふたり」をはじめ「ボルサリーノ2」「フリック・ストーリー」「ショック療法」「燃えつきた納屋」などドロンの映画を立て続けに見ていた記憶があります。
 ダスティン・ホフマンは「卒業」以外にも佳作が多くて「真夜中のカーボーイ」「ジョンとメリー」「わらの犬」「パピヨン」「マラソンマン」「クレイマー、クレイマー」など枚挙にいとまがありませんが、今回「卒業」を見てやっぱりコレダ!と思いました。それほど印象的な表情を見せてくれています。この役はロバート・レッドフォードにも打診があったそうですが、自分には向かないということで断ったらしいです。

記録的大雨 旅がらす- 2003/07/19 - TOP
 今日から夏休みシーズン突入の3連休ですが、梅雨前線の活発化で九州から中国・四国にかけて西日本一帯には大雨の被害が出ているようです。冠水・洪水・崖崩れ・落石など被害の模様を昼のニュースでやっていました。ととろねこさんがお住まいの地方では避難勧告も出ているようですが、大丈夫ですかととろねこさん?
>さくらさん
 東映チャンネルで「この首一万石」っていったらもう去年の8月頃じゃありませんか?随分前から加入していらしたんですね。HPのバックナンバーで去年のラインナップを見るとモノスゴイ!!橋蔵さんに限らず元東映フリークだった私にとってはもうため息が出そう。切歯扼腕し地団駄を踏むばかり(?)なのでバックナンバーはなるべく見ないようにしてますわ(笑)。まぁ過ぎたことを悔やんでみても始まらないので前向きに考えろことにしましょう。
 昭和37年の「天草四郎時貞」あたりから素顔に近いメーキャップや、わざと汚したようなメーキャップが多くなり、38年以降は従来の白塗りはグッと少なくなっています。野性味を出そうとか、作品にリアリティを持たせようと考えた上での、苦心のメイクだったんでしょうけどやはり「新吾」や「若さま」の方が橋蔵さんらしいですね。
 錦ちゃんの場合はむしろ素顔の方に魅力があり時代劇の顔もその延長線上にある感じなんですが、橋蔵さんの場合は素顔と時代劇メイク顔との間に完全な断絶が存在するという感じで、極端なことをいえばこの2つの顔は全然繋がりません。素顔の橋蔵さんも確かに端正な顔立ちでき綺麗ですけど、時代劇のメイクをしたときのような色気や華やかさはほとんどないですね。素顔との落差が大きいという点では市川雷蔵さんと似たような傾向でした。
 おまけに歌舞伎や踊りの時の顔になるとこれまた時代劇用の顔とは全然違っていて、とても同一人物とは思えないから不思議です。踊っている橋蔵さんと、新吾や若さまの橋蔵さんとがうまく重ならないんですよ。ホントに同じ人間なのかなァ(笑)と思いたくなります。それほどに厳しい修練を長年に渡って積んだ人なんでしょうね。橋蔵さんの踊る姿を見ていると映画スターはある意味で仮りの姿だったのだろうかという気がしないでもありません。少々フクザツ(笑)。

またまた洋画で60年代 旅がらす- 2003/07/19 -  TOP
>雪さん
 「レインマン」もありましたね。ダスティン・ホフマンの演技が真に迫っていました。「心の旅路」はNHKの放映で2,3回見ています。冷静に考えてみればかなり異常な(?)設定と展開なんですけど、記憶を喪失した人間のたどる数奇な運命の連続に引き込まれてしまってラストはまさに感動的!!理屈はともかく心情的にはごく自然に納得できる作品だと思います。ロナルド・コールマンとグリア・ガースンの共演でしたね。
 ハリソン・フォードのリメイク版「心の旅」はレンタルビデオで見ました。「心の旅路」がどちらかといえばヒロインの心情(悲哀と歓喜)に重心を置いていたのに対して、「心の旅」はヒーローの自己再生とその夫婦愛や家族愛に目覚める姿を中心に、うまく現代の物語に置き換えていましたね。記憶喪失がその人の人格を変えてしまうというモチーフが新しい人生の発見という感動につながっていてよかったと思います。でも、どちらが好きかと云うことになるとやっぱりオリジナル(「心の旅路」)の方かな(笑)。
 ひばりさんの相手役を探したときにひばりサイド(新芸術プロ)が最初に白羽の矢を立てたのは橋蔵さんの方だったんです。でも映画出演の了解を得るに当たって菊五郎劇団内部の根回しの問題などがあり、話が短時日の間にスムーズに進まなかったそうです。そこで別のルートから錦之助の話が持ち込まれ、こちらは本人もご母堂(小川ひなさん)も映画界入りに積極的だったことからトントン拍子に話がまとまり、めでたく共演(「ひよどり草紙」)の運びとなったようです。
 それにしても橋蔵さんの映画デビューがそれから2年近くも遅れているというのはちょっと解せない感じですが、以前に何かの本で読んだ話では、プロ側が橋蔵も後を追ってデビューさせようとしたところ、息子(錦之助)が使い捨てにされるのではないかと危惧した母親が橋蔵さんのデビューに待ったをかけた(横槍を入れた)りしたんだそうです。ウソかホントか真偽のほどは不明ですが。
>久里子さん
 ATGでは洋画も(ゲイジュツ映画ばかり選んで)上映していましたね。新宿アートシアター(新宿文化)とか有楽町の日劇の地下に上映館がありました。「気狂いピエロ」(ゴダール)や「鏡の中にあるごとく」(ベルイマン)は私がまだ高校生の時です。その他にも「女ともだち」(アントニオーニ)、「かくも長き不在」(アンリ・コルピ)、「野いちご」「第七の封印」(ベルイマン)などを覚えています。ベルイマンは一般の劇場で公開された映画も多かったので「沈黙」「ペルソナ」「処女の泉」などあの頃はいっぱい見ました。
 寺山修司や横尾忠則もあの時代の寵児で当時の雰囲気を体現していましたね。寺山修司はNHK教育テレビの討論番組「若者の広場」(「十代の広場」?)によく出演していたので高校生の頃から見ていました。イラストレーターという言葉が一般的になったのは横尾さんや宇野亜希良さんあたりからではなかったでしょうか。横尾さんといえばATG制作の「新宿泥棒日記」(大島渚)にも出演していましたね。
 カルメン・マキの「時には母のない子のように」はレコードを買って繰り返し聴きました。次の「山羊にひかれて」もよかったです。あの頃は新書館という出版社から寺山さんの詩集(詞集)が何冊も出ていましたね。「初恋の人が忘れられなかったら」というようなタイトルの詞があったと思います。もういいかい、まあだだよ、を繰り返している内に年老いてしまうというような内容で、日吉ミミの「人の一生かくれんぼ」はこのバリエーション(別バージョン)だったと思うのですが。
 小説の方でもヌーヴォー・ロマンがブームで、友人と徹夜でブンガク論?ゲージュツ論?に夢中になったものです。新潮社の「現代フランス文学13人集」とか、白水社の「世界の新しい文学」とか、河出書房の「海外文学」シリーズとか、今でも古本屋で見かけると懐かしく思われます。
 いわゆる「新しい文学」は難解なだけであまり面白くありませんでしたけれども、「難解を是とする」風潮は確かに存在しており、私などもそれに毒されていましたから、ほとんど見栄だけで難しい本を読んだりしていました。今考えるとバカみたいですが(笑)。
 極付(?)は思潮社から出た現代詩文庫の第1期シリーズと、学芸書林から出た「全集・現代文学の発見」でしょうか。これらが私にとっては1968年を象徴する叢書群でしたね。

大雨が続きますが・・・・ - 2003/07/20 - TOP
 ととろねこさん、ご無事でよかったですね。避難勧告の出ている地区名をテレビで見てびっくりしましたよ。やっぱりすぐ近くだったんですねぇ。実際に避難するまでには至らなかったようで幸いです。
 いえいえ単なる想い出掲示板です(笑)。寺山修司さんは今でもよく分かりません。特に天井桟敷などの演劇方面はお手上げでした。一番好きなのは初期の頃の短歌で、あとは歌謡論・映画論・人生論・恋愛論・スポーツ論などが理解できた程度です。
 「書を捨てよ町へ出よう」はタイトルの斬新さがなんといっても魅力的で大いに心惹かれたものの、自分のことを言われているようで手が出ませんでした(笑)。読んだのはずっと後になってからだったと思います。もちろん単なる「行動のススメ」のような内容ではありません。
 先週の金曜日、会社の帰りに「映画監督 深作欣二」という新刊本を見つけたので購入しました。映画評論家の山根貞男が深作欣二(本年1月死去)にインタビューしたものをまとめた本です(ワイズ出版刊)。
 本の帯には「映画という”終わりなき戦い”・・・深作欣二が語る全61本の映画戦記」とあります。生い立ちから始まって助監督修業時代の話、そして監督第1作から最終作までの制作・撮影に関わる事情やさまざまなエピソードが語られていて、この50年の映画史(東映に限らず邦画全般の)としても面白く読める本だと思いました。
 「仁義なき戦い」の第二部「広島死闘編」(S48)の話のところで、最初のキャスティングでは主演の北大路欣也さん(山中正治)と千葉真一さん(大友勝利)の役どころが逆になっていたというんで、もうおったまげました。とっても信じられな〜い、です。まるで狂犬のように無茶苦茶に暴れ回るあの大友の役が北大路さんに出来るわけがない。
 深作監督はすぐに「それはちょっと違うな」と言ったそうですが、千葉さんは「俺が主役だ、山中だ」とすっかりその気で張り切っていたとか。でも北大路さんが「ホンを読んだら、大友はちょっと自信がない」と言い出して揉めたんだそうです。千葉さんが反発したため周囲も困った状況になり、深作監督が千葉さんを説得したんですが、そのときの言葉が面白い。
 実は千葉さんと北大路さんとの間にはその10年前の「海軍」(S38)でも同じようなことがあって、千葉さんは主役を北大路さんに奪われているんです。(この映画で北大路さんは好評を持って迎えられ出世作になっています。)千葉さんはそのとき死ぬほど悔しい思いをしているので余計に複雑なものがあったようです。
 ・・・この前の因縁はよく知ってる。二度もこんな目を食らって悔しいのはよく分かるが、監督としての意見を参考までに聞いて欲しい。(中略)主役は山中なんだけど、画を見たらはっきり二人の対決になっていて、どちらに人気が出るかといったら、お前さんがやらなくても、大友だな。台詞を一言一言読んでみろ。こんな面白い台詞を山中は一言だってしゃべっているか。(中略)ただ、お前さんには山中ができるだろうけれど、逆に欣也には大友は逆立ちしてもできない。できないから彼は正直に言ってるんだ。俺はお前さんなら大友ができると思うし、面白くなると思う・・・
 以上、長い引用になりましたがご容赦のほどを。しかし北大路さんもバカじゃない、見直しましたね。脚本を読んで自分には無理だと直感したのもエライが、なかなかそうハッキリと言い出せるものじゃないでしょう。
 他にも監督デビュー作の「風来坊探偵」や「ファンキーハットの快男児」をはじめ、自作に関する面白い談話が載っていますので、またボチボチ紹介していきたいと思います。

祝!梅雨明け!  - 2003/07/26 -  TOP
 やっと九州北部から東海地方までは梅雨明けしたようです。土用丑の日にも滑り込みセーフというところで広島・大阪・愛知にお住まいの皆さんはよかったですね。私の住む関東地方まで明けるにはもうちょっと時間がかかりそうです。
 今週はプログラム開発を10本以上抱えていたため内職(カキコ)もままならず、レスがすっかりお留守になってしまいましたが、「東映の流れ」と同じように(?)今昔座も流れがとぎれてしまっているようで、内心忸怩たる思いの旅がらすであります。
 「花笠若衆」(7/30、14:05〜)は去年の秋頃にもBSで放映されました。ビスタサイズのビデオソフト(テープ)ではなくシネスコサイズのニュープリントでしたけど、全体に黄色っぽい感じで画質はともかく色調がイマイチだったような気がします。続いて31日(14:18〜)には美空ひばり&鶴田浩二の「風流深川唄」(監督・山村聡)もありますのでお忘れなく!
 今週から錦之助の「子連れ狼」も始まりましたね。昭和50年代の再放送で見たのが最後なのでとても懐かしかったです。原作に忠実な映像化であることもさることながら、ここはやっぱり錦之助のセリフ廻しや殺陣が抜群ですわ。
 錦ちゃんのメイクが「恐い」という気持は分からなくもないですが、この役は殺気や怨念の凄まじさが顔に表れていないと話が成り立たないと思います。穏やかな顔や優しそうな顔をした拝一刀というのはちょっと考えられません。錦之助はほとんど笑わないし台詞も少ないですが、要所での表情はきちんと決まっているので、回を重ねるごとに魅力が増していきます。 第3シリーズ(PART3)まであるのですが、私の記憶では特に第2シリーズがよかったような気がします。
 役者としての柄からいえば映画版の若山富三郎の方が拝一刀にはハマリ役ですし、私も当時劇場で3本か4本見ましたが、若山さんはちょっと無表情にやりすぎたというか、演技が硬すぎたというか、やや期待はずれで、見ているこちらとしてもあまり感情移入が出来ませんでした。
 錦之助のテレビ版(第1シリーズは73年)はまだ映画のシリーズ(72−74年)が続いている間に作られたため、私も当初は錦之助の起用に首を傾げたクチで、リアルタイムではほとんど見ておらず、翌年の再放送の時にまとめて見ました。そこではじめて若山さんよりも錦ちゃんの方がこの役をずっと上手くこなしていることに気が付いた訳です。この作品における錦ちゃんの殺陣はなかなかのもので、対決する相手によっても様々なパターンがあり、結構楽しめるのではないかと思います。
 各回ごとのエピソードは必ずしもハッピーエンドではないので、その意味では少々しんどいかもしれません。全体のストーリーも拝一刀の裏柳生に対する復讐劇ですし、送り込まれてくる隠密や刺客たちを心ならずも倒していく場面もありますし、依頼された殺しの相手が必ずしもただの悪人とは限らないケースもあります。
 大五郎役の子役の可愛らしさが重要なポイント(?)になるのは分かりますね。最初の若山版のときの富川晶宏くんも可愛らしい子でしたよ。それにひきかえ錦之助版の西川和孝くんときたらきかん気の強そうないかにも悪ガキといった顔で、なんだコリャと思ったものです。
 田村正和や北大路欣也の「子連れ狼」はCM映像やスチール写真でしか見たことがないのでなんとも言えません。ただ、田村版はアクションや復讐の劇というよりも、親子の情愛や絆の方に重点が置かれたドラマ作りだったような記憶があります。
 「冷飯とおさんとちゃん」は前にもここで話題になりましたね。オムニバス形式の3本はそれぞれに趣向が違っていてどれもいい出来ですが、私は「冷飯」が一番好きなんですよ。「ちいさこべ」もよかったですね。山本周五郎といえば「雨あがる」を原作にしたテレビドラマ「夫婦旅日記 さらば浪人」(1976年、全24回)が来週の月曜日(7/28)から時代劇専門チャンネルで毎日放映されます。藤田まこと&中村玉緒が夫婦役で好演しているのでこれも見直したいと思っています。
 007や洋画の話はまた次のカキコで。

007は永遠に!(1) - 2003/07/27 -  
TOP
 本題に入る前に松方弘樹さんのメイクについてひとこと、雪さん、「仁義なき戦い」5部作の内3本に松方さんは出演しています、それも全て別人の役で。だから役作りの上でもメーキャップの面でも相当苦心されたようです。その結果があのメイクになったのではないでしょうか。たしかにちょっと気色悪いのは同感ですが、それを云えば梅宮辰夫さんの方がもっと気持が悪かったかと(笑)。
 「私達の世代は意外と平穏な良い時代だった」んでしょうねジャンバールさん、私もそう思いますよ。日本人にとって昭和20〜30年代は敗戦からの復興を目標に、ただ前向きに生きてこられた幸福な時代だったんじゃないでしょうか。もちろん社会の矛盾や貧困は存在しましたし、政治的な不幸や悲惨な出来事もありましたけれども、明日は今日より良くなるという思いが一般的な通念となり、誰もがそれを素直に信じて生きていられたほとんど希有な時代だったという気がします。
 振り返ってみると特に30年代はまるで奇跡のような10年間だったんじゃないでしょうか。今はまだ苦しいけれど我慢して努力を続けていれば日本は(われわれの生活は)今よりもずっと良くなるんだと信じていられた時代ですよ。こんな時代はそうあるものじゃないし、長くは続かないものでしょう。そういう時代に幼年期から青少年期(小中高)を過ごせた僕らは本当に幸福者(しあわせもの)なんでしょうねぇ(笑)。東映時代劇も、日活のアクションや純愛路線も、東宝のサラリーマン喜劇や若大将も、そういう時代の産物でした。
 というところで「007」ですが、ジェームズ・ボンドは私も完全なるショーン・コネリー派で、他の役者は一切受け付けません(笑)。でも居るんですよねぇ、ロジャー・ムーアの方がいいとか、ショーン・コネリーは嫌らしいとか云う人が、昭和30年代生まれでコネリー版をリアルタイムで見ていない人達の中には結構多いみたい。
 ロジャー・ムーアのボンドなんか田舎臭くて見られたもんじゃないし、他の役者は皆ジゴロにした方がいいようなのばっかりで(笑)。もっともショーン・コネリーも決して品は良くないし、清廉潔白な雰囲気でもないし、お世辞にも知的な風貌とは云えません。でもアクションスターとしての切れがあり、冒険活劇を盛り上げる素質はあったと思います。「ネバーセイ・ネバーアゲイン」で久々にコネリーのボンド役を見たとき、いくら老いたとはいえ、ロジャー・ムーアとは比較にならないという思いを強くしましたよ。それももう20年前のことになりますが。(この項続く)

007は永遠に!(2)  - 2003/07/27 -  TOP
 今年の2月か3月頃に「007」全作品がDVDで発売されたと思うんですが、その時にショーン・コネリー版だけを集めたボックスが全巻セットとは別に発売されました。これはコネリー版だけを欲しいという人が多いことの証明なんでしょう。なんだかとても嬉しかったですねぇ(笑)。私だってコネリー版以外は買う気がしませんよ。
 ムーア版は「黄金銃を持つ男」と「ユア・アイズ・オンリー」の2本しか見ていませんし、あとはジョージ・レーゼンビーの「女王陛下の007」を見ただけです。コネリー版は全部劇場で、それもほとんど封切りで見ています。
 唯一の例外がよりによって(?)名作中の名作「ロシアより愛をこめて」なんですね。これは「ゴールドフィンガー」と「サンダーボール作戦」の間のアンコールロードショー(「殺しの番号(ドクター・ノオ)」と2本立)で見ています。このときもまだタイトルは「007危機一発」でした。「007ロシアより愛をこめて」に変わったのは昭和46年か47年のリバイバル公開のときです。
 第1作の「殺しの番号」がイマイチだったため次の「危機一発」は興行成績が一番悪かったんです。当時気乗りがせず見に行かなかった理由もそれが一つと、もう一つは併映作品(地方都市の映画館の2本立)が気に入らなかったからですが、見に行った友だちがすごく面白かったというのでシマッタ!と思いました。でも、これがクチコミとなって評判を呼び「ゴールドフィンガー」の大ヒットに繋がったんじゃないでしょうか。
 「ゴールドフィンガー」は当時としては珍しく(おそらく本邦初の試み?)テレビでスポットCMを流して大々的に宣伝していました。しかも日米同時ロードショーという触れ込みでそれは華やかなものでした。公開初日にはNHKテレビのニュースでも映画館(日比谷映画)の模様を放送していたような気がします。日米同時を記念してのイベントで開場時のテープカットまであったんじゃないかなぁ。たしか7月上旬(昭和40年)だったと思いますね。
 「007」のタイトルバックはどれも皆しゃれていますが特に「ゴールドフィンガー」のは冴えていましたね。全身に金粉を塗られた女の死体も衝撃的(?)でした。皮膚呼吸が出来なくなるので40分が限度という医者の判断に従って撮影が行われたという記事も週刊誌か何かで読んだ覚えがあります。
 「危機一発」は朝日新聞の映画評でも取り上げられましたが、「危機一髪」が正しい熟語であり、こうした安易な造語は間違った知識を植え付けるのでよろしくない、というようなことが書かれてあったのを覚えています。また、ベッドシーンが濃厚なため大人向きであり、せっかくのアクション映画が子供連れではオススメ出来ないのが残念だというようなことも・・・さすがは朝日新聞ですね(笑)。
 「サンダーボール」以後はまた次回に。


姫路城ロケ   
- 2003/07/27 -   
TOP
  久里子さん、あの悪評高い(?)「姫路城ロケ」の現場にいらしたんですか?ショーン・コネリーと並んで歩いたばかりか言葉を交わしたなんて羨ましいお話ですね。ロケのことは当時の週刊誌で読んだ覚えがあります。ボンドガールの一人に選ばれた浜美枝さんの談話(共演体験の感想)も読みました。
 洗練された明るく格好いいボンドは映画の中だけで、実際のショーン・コネリーはどちらかというと重苦しい感じで、あまりとっつきのいい方ではないという話もその頃聞きましたね。あのロケがあったのは姫路城の大修復(リニューアル)が行われる前のことでしょうか、それとも後でしたっけ。ロケ隊が撮影のために許可なく勝手なことをしたりして、国宝を傷つけたとかなんとかで騒ぎになったような記憶があります。
 「007は二度死ぬ」は高校3年の9月か10月に見ましたが、あまり面白くなくて満足出来ませんでした。しかも同時上映があの「冒険者たち」でしたからよけいに印象が薄くなってしまいました。日曜日の朝イチで映画館に入り「007」の方から見たんですが、期待はずれでもう1本見るのも面倒くさくなりかけていました。見ないで帰ろうかと思ったぐらいです(笑)。そこへあのテーマ音楽が流れてきたのでいっぺんで目が覚めた感じ(笑)。「冒険者たち」については何の先入観もなくほとんど白紙の状態で見ましたからほんとに感動しました。リノ・バンチュラもアラン・ドロンも素晴らしかったです。
 ジョアンナ・シムカスを主演にして撮った「若草の萌える頃」も同じロベール・アンリコ監督の作品ですが、これもよかったですね。劇場では見ていないんですが、何年か後にテレビの深夜劇場で放映されたのを見ました。日本語吹替でしたけれども非常に感銘を受けました。ぜひ字幕版で見たいと思っているんですが未だに機会がありません。レンタルビデオも出ていたらしいんですがお目にかかれませんでした。
 家庭用ビデオが普及する少し前からフランス映画は低調で人気もなくなっていましたから、レンタルビデオやセルビデオがブームになったときもあまりきちんと発売されなかったというか、発売作品の選択についても目配りが十分でなかったのでしょうか。字幕翻訳者も英語に比べると人材不足ですし、映画会社のシステム上の問題などもあったのかもしれません。
 ついでに云うと、NHK−BSで放映されるフランス映画の字幕翻訳はひどすぎます。戦前の名作や昭和30年代前半あたりの作品まではまだいいんですが、それ以降の作品については意味上のつながりがおかしいもの(誤訳?)、日本語として不自然なもの(悪文?)、などが目立ちます。全部が全部とは云いませんけど、字幕担当者によってはほんとうにイライラして不愉快な気分にさせられるだけのことがよくあります。終わった後じゃなくて最初に字幕担当者の名前を出してくれれば見ないで済むんですけど(笑)。

 

塩酸事件、007、海の百万石    TOP 
>雪さん
 「塩酸事件」の時の舞台(浅草国際劇場)に橋蔵さんも一緒に出ていた事は、ひばりさんが亡くなった直後の頃に知ってビックリしました。橋蔵さんのブロマイドの中にも獅子頭を持って撮ったのがありますよ。あの舞台の模様は近代映画か平凡の別冊に特集が出ていて読んだ覚えがあります。橋蔵さんが白いタキシードか何かでドレス姿のひばりさんとダンスを踊るシーンもありましたよ。たしかフィナーレの前じゃないでしょうか。橋蔵さんはまるで幇間(?)よろしく愛想のいい顔でひばりさんの相手役をそれは楽しそうにつとめていますね(笑)。
>久里子さん
 姫路城にヘリコプターから降り立った姿をたとえ写真でも見た事はないのでなんとも言えないのですが、クレープ(というより当時はちぢみ)のシャツも昔のものは今よりも本格的(?)というか織り方や形なども時代がかっていた(?)のかもしれませんね。外人さんでは着こなしもまずいでしょうから余計に不細工に見えたかも(笑)。
>ジャンバールさん
 本来なら個々の作品のディティールを語らなければいけないのに、直接関係のない周辺記憶ばかりを書き連ねて申し訳ありません。最初は両者を融合させて書こうと思ったのですが、双方の文がうまく溶け合わないので作品の方を棚上げして先送りにしました。私の「007ランク」などもまたあらためて・・・。
>さくらさん、ととろねこさん
 「海の百万石」は橋蔵さんの出番が遅いはずで、まさか子役の時代からあったとは(笑)、そんなことまで記憶に残っているはずがないですからクレジットタイトルを見たときにビックリです。デビューしてまだ1年足らずなので演技は硬いですが、さすがに初々しい表情を見せてくれましたね。千原しのぶさんとのコンビもしっとりした趣がありました。二人が海の水に足をつけながら語り合うシーンは印象的でしたが残念なことにカメラアングルがイマイチで気分をそがれました。なんだって斜め横の上の方から俯瞰でばかり撮っているのか。ラストシーンで橋蔵さんが海に向って「お父う!」と叫ぶシーンは子供心にも鮮明に焼きついていました。あのシーンがなんといっても印象的ですね。懐かしくも貴重な作品と再会することが出来て、いつものことながらさくらさんのボランティアに感謝感謝また感謝です。どうもありがとうございました。
>ふくろうさん
 「子連れ狼」の頃の錦ちゃんはまだあまり必要以上に力んだ芝居をしていないので安心して(?)見ていられますね。拝一刀役の錦之助の殺陣はなかなかのもので見ごたえも十分です。回を追うごとに魅力が増して行きますので機会がありましたらどんどん見て下さい。


鰻の幇間ではありませんが  - 2003/07/30 -  TOP 
>雪さん、さくらさん、ふくろうさん
 「幇間」(ほうかん=たいこもち)の言葉が余計なショックを与えてしまったようでスミマセン。別に橋蔵さんが卑屈になって御機嫌とりをしているとか云う意味ではないんです。あの舞台の主役はひばりさんですから、橋蔵さんは完全に引き立て役に徹しているという雰囲気が、非常にハッキリと感じられるということなんです。
 ただ、あの頃(映画デビューの約1年後)の橋蔵さんはひばりさんに対して一歩も二歩も引いている、一目もニ目も置いている、という雰囲気なんです。決して卑屈ではないけれども愛想よくひばりさんを立てている感じが、舞台の踊りやダンスのときの表情や身のこなしに表れています。しかもそれをとても楽しそうにやっているんですね。だからいささか言葉は悪いけれど、楽しく愛想のよい橋蔵さんの表情を「幇間よろしく」と形容しました。
 おりしも本日放映の「花笠若衆」の撮影の前には、いわゆる「名前事件」が起きています。あの舞台の頃の橋蔵さんの表情や態度を見ている訳だから、ひばりさん母娘が激怒したのも感情的には無理からぬことだなぁと、ついつい感慨に耽って(?)しまいました。もちろん「名前事件」では橋蔵さん側の言い分の方に理があることは当然ですので、私を恨まないで下さい(笑)。
>ととろねこさん
 「神田鶴八鮨ばなし」は先に第2部(第2章)だけお読みになっても大丈夫ですよ。1・3章は後からごゆっくりどうぞ。また続編も2,3年前に出版されていますが、続けて文庫化してくれるかどうか(笑)。
 大五郎の子役を選ぶときの一番の決め手はあの髪型が似合うかどうかでしょうね。西川和孝クンなんて悪餓鬼風だし、どちらかといえばふてぶてしくて小憎らしい面構えだけど、あの髪型は彼が一番似合っているような気がしないでもありません。

 >>>> NEXT  ▲Page TOP  <<<< BACK  <旅がらす街道・トップ>

TOP | 東映今昔座 |若様やくざ| 旅がらす街道|絆でござんす