※文中に呼びかけのためのお名前が登場しますが、掲示板からの転載のため当事者の方はご了承下さい。


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いや、まったくその通りで  ●ひばり・橋蔵共演 

月形半平太と新平家物語   国産初の総天然色映画

台風一過の真夏日  橋蔵さんの殺陣(1) (2)

★レギュラー1  2 3 4 5 6 7


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花笠若衆あれこれ
- 2003/07/31 -
 さくらさん、別に「反省」する必要なんかないですよ。ふくろうさんのおっしゃっている「泣かないかナ」は、幇間なんて云ったらさくらさんがガッカリするんじゃないですか?という意味の私に対する警告(?)です。「幇間」という言葉の持つイメージの悪さに十分心を致して慎重に言葉を選ぶべきでした。私の方こそ反省しなければなりません。
 ただつい最近、あのとき(塩酸事件)の舞台の写真をまとめて見る機会がありまして、橋蔵さんとひばりさんが一緒に踊っている場面などを見ますと、まだ押しも押されぬ大スターにのし上がる以前(昭和32年正月)の橋蔵さんの表情が初々しく、おそらくご本人も自分はまだまだ駆け出しの身だと思っているような謙虚な気持が伝わってくる、そんな表情なんですね。
 錦之助と並ぶ東映のドル箱に成長してからの橋蔵さんには見られない雰囲気がそこにはありました。橋蔵さんも若かったんだなぁという感じです。橋蔵さんの場合、錦之助や裕次郎のように一気呵成に人気が沸騰し、爆発的なブームを呼んだというタイプではありませんから、スターとしての顔の変化がどのあたりでどうなっていったのか、その辺のことにも興味を持った見方をしています。
 「花笠若衆」をご覧になって不満でしたか、皆さんそれぞれに様々な感想があるものですね、いささか面食らいました(笑)。おっしゃることはごもっともなんですけれども、あれは橋蔵さんが主演の映画ではなくひばり主演の映画であることをまず念頭に置いて見ていただきたいと思います。しかもただのひばり主演ではなく、デビュー10周年記念作品であり、原作をひばりさんのお母さんが書いているという、言わば丸ごとひばり賛歌みたいなコンセプトで作られています。
 また、別な見方をすれば、ひばり映画における橋蔵さんの使われ方というのがどんなものか、ひばりの相手役をつとめるということがどういうものなのか、この「花笠若衆」を見ただけでもお分かりいただけるのではないでしょうか。その意味からいえば(橋蔵ファンが現在の目から見て)「不快」や「不満」を感じるのも、あながち誤解とはいえない面があると思います。
 だからこそ当時(昭和33年春〜夏)の橋蔵さんに「いつまでもひばりさんの相手役じゃないんだ」という思いが湧き上がってきたのも当然だと考えていいんじゃないでしょうか。東映にとっても橋蔵さんをいつまでもそのような扱いにしておく事は得策でないと考えた訳です。そうした事情を考えると、私にとってあの舞台の写真はなお一層胸に迫ってくるものがあります。
 ヘアスタイルがコロコロ変わるのは、一つにはサービス(色々なスタイルを見せて楽しんでもらおう)を狙ってのことであり、もう一つは衣装に合わせて髪型を決めているという面もあるんじゃないでしょうか。役柄やストーリーはもちろんのこと、時には芝居の流れさえも無視して衣装や髪型を見せることに重点を置いたりしますからね、昔のスターシステムの映画では。特に東映時代劇ともなればその辺はお手のもの???


いや、まったくその通りで
- 2003/08/02 -  TOP
 みんみんさん、ようこそ、お久しぶりですね。いや、まったく仰有る通りで自分の意見や感想を文章にするというのは難しいものですね。どんなに細心の注意を払って書いたつもりでも、読む人によって価値観や感性の相違がありますから自分が思っているように受け取って貰えるとは限りません。
 そこへ持ってきて今回の件では私の方に油断や隙が生じていたと思います。いつもの調子で気楽に書いたつもりがとんだ落とし穴に落ちてしまいました。悪気などは全然ないのですが、言葉選びに慎重さを書いたため周囲の皆さんを思わぬ騒ぎに巻き込んでしまいました。あらためてお詫びを申し上げます。
 同じ男とはいえ私も正真正銘の橋蔵ファンを持って任じていますが、ファン気質にも色々あって言葉に気をつけないと難しいです。冷やかしやチャチャに対しては拒絶反応を示される方がいますし、反対に面白がってくれる方もいます。欠点や弱点を指摘したりマイナス面を分析したりすると嫌がる方もおられるので、反感を持たれるような書き方はやはり禁物です。
 ただ、前に渡さんも仰有っておられましたが、この掲示板はあくまでも「東映今昔座」であって橋蔵さんのファンサイトではありません。たまたま橋蔵ファンが集まって中心になっているのは事実ですが、基本は東映映画全般であり、先日のように007やチャールズ・ブロンソンやアラン・ドロンなど洋画の話題にまで広がっていくこともある訳です。
 そういう流れの中で、ややもすると厳しい意見や辛辣なものの言い方が飛び出したり、あるいは言葉足らずの表現が出てきてしまうのはやむをえないことでもあると思いますので、多少の勇み足があっても勘弁してほしいと思っています。虫がよすぎるかな(笑)?
 ダブりの削除は渡さんに先を越されてしまいました。(どうもお世話様です。)投稿者が自分で削除を行うためには、投稿する前にあらかじめ削除キーを入力しておく必要があります。投稿した後で削除したいと思ったときは再び削除キー(先に入力したのと同じものでないとダメ)を入力して、該当カキコの番号の左側にあるボックスをチェックし、「削除」のボタンをクリックすればOKです。
 さくらさん、真夜中の休憩(笑)の後で「名前事件」の話をしましょう。少々お待ちを。

ひばり・橋蔵共演 -
2003/08/02 -  TOP
>さくらさん
 ご承知のように橋蔵さんはひばりさんの相手役として歌舞伎界からスカウトされ「笛吹若武者」の共演でデビューを果たしました。その後もひばりさんが東映に出演するときは橋蔵さんとコンビを組むことが多く、二人が同じプロダクションに所属していたこともあって、「ひばり・橋蔵のおしどり(ふり袖)コンビ」のようにいつもひばりさんの名前を上に持ってきていました。実績や人気度からいっても最初はそれが当然ですし何も問題はありませんでした。「おしどり囃子」「ふり袖太平記」「若衆変化」「大江戸喧嘩纏」「ふり袖太鼓」と共演作が続きます。
 ところが橋蔵さんの人気が上昇するに連れて観客動員数ではひばりさんをしのぐようになり、映画スターとしての地位や力関係は逆転してしまいます。東映としても「ひばり・橋蔵共演」で売るよりは、「橋蔵主演・ひばり共演」で行った方が客が入るし、そういつまでもひばりさんの相手役という扱いには出来ないと考え、「花笠若衆」の制作にあたって橋蔵さんの名前を上に持ってこようとしたらしいんですね。
 そういう東映側の意向に対して橋蔵さんが辞退せず「自分としてもそうしてほしい」と同調したことで、ひばりさん母娘の逆鱗に触れてしまい騒ぎが持ち上がりました。「いったい誰のおかげでスターになれたと思っているんだ」と怒り心頭のひばりさん母娘を、「もう昔の橋蔵とは違うんだから・・」といって関係者がなだめようとしたそうです。
 結局「花笠若衆」は従来通りの序列(ひばり・橋蔵)で作られることになりましたが、その代わりコンビは解消することにして、ひばりさんは独立させる(ひばりプロ創設)ということで決着をみたようです。オールスター映画を別にすれば、二人の共演作は3年後の「幽霊島の掟」までありません。
 ただ、「花笠若衆」(S33)の前の「ふり袖太鼓」(S32)のポスターを見るとすでに橋蔵さんの名前の方が先(右側)に来ているんですよね。このときはたまたま映画の内容に合わせたのか、あるいは交互に名前を先にしようというような話があったのか、詳しい事情は知りません。いずれにしても昭和32年には東映で錦之助に次ぐドル箱スターに成長していたことは確かでしょう。
 ところで9月の東映チャンネルのラインナップが発表されましたね。橋蔵さんの映画は「喧嘩道中」(S32、橋蔵さんのスコープ映画第1作)と「血文字屋敷」(S37、主演は大友さん)が放映されるようです。「血文字屋敷」は「魔像」のリメーク版で、当時1度見ただけです。橋蔵さんは大岡越前守役で出ているんですが、出演シーンをまったく覚えていません。
 「喧嘩道中」は当時も見ましたが、その5年後に再映(リバイバル)されたときに見てそれきりです。橋蔵さんの股旅物の主演作はこれが最初でした。モノクロですが橋蔵さんの美しさが堪能できる作品だと思います。
>ふくろうさん
 ひばりさんは昭和12年生まれなので「花笠若衆」の時は21才になるやならずといったところでしょうか。まさか10代ということはありません(笑)。「子連れ狼」は面白いでしょう。毎回趣向が違うので話の内容や展開は様々です。続けて見ていても退屈しないと思います。錦之助さんの演技もそれに応じて色々なパターンが楽しめるのではないでしょうか。4回目あたりから過去の経緯(裏柳生との確執)も回想などで明らかにされていきます。原作の劇画(全26巻)も面白いですよ。もちろん(?)私は全部読みました(笑)。


月形半平太と新平家物語
 - 2003/08/03 - 
TOP
 今日(8/2)の午後はNHK−BSで長谷川一夫の「月形半平太」と市川雷蔵の「新平家物語」が放映されましたのでご覧になった方もいらっしゃると思います。「平家」が昭30,「月形」が昭31の作品ですが、「月形」の方は当時(小学1年生)見ています。最後に短筒で撃たれて死ぬので、てっきり橋蔵さんの半平太もそうなんだと思いこんで見ていたら(笑)、あの壮絶な最期にビックリしましたね。
 でも、長谷川さんより橋蔵さんの月形半平太の方がずっといいですね。けっして贔屓目でなしにそう思いました。長谷川さんの場合年齢的にも少々無理があったんでしょうが、すっきりした爽やかさがないので悲哀が感じられないんですね。勤皇志士としての国士的な面と、芸妓との色恋に生きる男の部分と、硬軟両様の演技が要求されるので難しい役だと思いますが、橋蔵さんの方が柔らかみも艶もあり男の色気を感じさせました。
 長谷川さんの「月形半平太」は全体の調子が気負いすぎていて、そのくせ場面の展開は妙にかったるいのでちょっと閉口しました。豪華キャストの素晴らしいメンバーが揃っていればこそ我慢して見ていられるようなものです。ただ、セットの美術は素晴らしかったですけどね。東映ではとてもあそこまではと思わせる見事さでした。
 長谷川さんもちょっと力みすぎていて半平太のイメージとは違うような気がしました。むしろ早瀬辰馬役で出ていた雷蔵さんに半平太の役をやらせてみたかったですね。橋蔵さんがどちらかというと軟派寄り(一見遊び人風?)なのに対して、雷蔵さんは硬派の面が強く出てしまうでしょうけど、お二人とも澄明さがあるので半平太にはピッタリじゃないでしょうか。
 「新平家物語」も美術が素晴らしいですし、大勢のエキストラが醸し出すエネルギーに圧倒されます。雷蔵さんは若き日の清盛を力強く演じていて好感が持てました。平家の若統領としての覇気と、その中にどこかナイーブなものを感じさせる演技はさすがです。
 さくらさん、「市川雷蔵・魅力のすべて」もご覧になったんですか。錦之助さん(の特集)に勝るとも劣らぬ絶賛の嵐(?)ですよね。でもまぁあの二人の場合は特別というか例外的な存在といってもいいんじゃないでしょうか。作品の幅が広くて多様性があること、名作の評価を得ているものが多いこと、そして演技にまつわるエピソードが豊富であることなどを考えると、これだけ特別扱いされるのもやむを得ない気がします。
 もっとも橋蔵さんだって特集を作ろうと思えば作れますし、作れるだけの素材や資料は十分にあると思いますよ。ただ、熱いメッセージ(?)を語ってくれる人がどれだけいるかということになるとあやしいかもしれませんね(笑)。でもそれならそれでもっとクールな作りにすればいいんだと思いますよ。映画の場面や芸能ニュースのフィルムなどを繋ぐだけでも東映時代劇の黄金期を生きた橋蔵さんの姿は十分に見せることが出来る筈です。
 共演した女優だって丘さとみさん、桜町弘子さん、花園ひろみさん、藤純子さん、佐久間良子さん、三田佳子さん、と揃っています。東映の場合は完全な男性路線中心だったため、大映・東宝・松竹・日活に比べて女優が育たなかったのは確かですけど。
 明日は朝の9時から時代劇専門チャンネルで橋蔵さんの主演映画「不知火小僧評判記 鳴門飛脚」(S33)が放映されます。これは「くれない権八」の前の作品で橋蔵さんのねずみ小僧スタイルがスマートで楽しめると思います。この頃の橋蔵さんはほんとうに綺麗でした。なお夜7時からは助演作の「丹下左膳 怒濤篇」もあります。
 東京・中野武蔵野ホールのモーニングショーは阪妻祭りが終わり、今月から千恵蔵祭りが始まりますが、橋蔵さんが出演している「はやぶさ奉行」(S32)もラインナップに入っています。その他にニュー東映作品「アマゾン無宿 世紀の大魔王」(S36)なる珍品や、この4月に今昔座でも話題になった「日本暗殺秘録」(S44)も上映される予定です。モーニングショーなので朝10時ないし10時40分から1回だけの上映(ただし1週間続く)ですが、なんとか足を運びたいと思っています。
 NHK−BSでは明日の午後も新平家物語3部作の残りの2本「義仲をめぐる三人の女」と「静と義経」が放映されます。いずれも未見なのでこちらも楽しみ・・・というわけでこの8月はBSでもCSでも、そして劇場でも興味ある作品が目白押しの忙しい夏になりそうです。全部録画していたらディスクが100枚あってもまだ足りません(笑)。


国産初の総天然色映画  - 2003/08/03 -  TOP
 雪さん、日本で最初の総天然色映画は松竹で作られた木下恵介監督の「カルメン故郷に帰る」(昭26)です。高峰秀子さんが主演しました。自称芸術家、実はストリッパーのヒロインが故郷に錦を飾って(?)巻き起こす珍騒動を描いた喜劇です。
 まだフィルムの感光度(アーサーコード)が低かったため撮影は野外ロケに頼らなければならず、天候に左右されて思うように進まなかったらしいです。光を反射させるレフ版も沢山使われたので殺人光線並みのまぶしさで俳優たちは目を開けているのがやっとだったそうです。
 撮影は8月から10月にかけて軽井沢の浅間山麓で行われましたが、当初は緑色だった木々の葉が紅葉してしまいました。ストーリーは1週間ぐらいの間の出来事なのでコリャマズイということになって、カメラに写る範囲の木々の葉を(それもワンカットごとに)スプレーで緑色に塗って撮影する騒ぎだったとか。
 その上、万一失敗した場合のことも考えて、白黒でも撮影しておいたんですね。そのため俳優達はもう一度同じ演技を繰り返さなければならなかったそうです。俳優やスタッフのストレスが頂点に達したせいかどうか、浅間山が爆発するというオマケまでついたとか(笑)。
 「カルメン故郷に帰る」にはカラーと白黒の2つのバージョンがあるというという話は以前に小林信彦さんのエッセイでも読んだ覚えがあります。現在でも白黒版が残っているのかどうか記憶が定かではありませんが、当時白黒版を見たという人もいたらしいですね。
 雪さんがご覧になった「路傍の石」は昭30の松竹版じゃないでしょうか。私は見ていませんが、吾一が坂東亀三郎で母親が山田五十鈴じゃなかったですか。私が見たのはその後の太田博之・原節子版(昭35,東宝)と池田秀一・淡島千景版(昭39,東映)です。田坂具竜監督による戦前の片山明彦・滝花久子版(昭13,日活)が名作として知られていますが見たことはありません。
 学校の映画教室で「路傍の石」を見に行ったことはありませんが、「次郎物語」(昭35,松竹)や「綴り方兄妹」(昭33,東宝)へは連れて行かれました。見た後の感想文も書かされました(笑)。

台風一過の真夏日 - 2003/08/10 -  TOP
 今日の関東地方は朝から快晴のカンカン照りです。午後には気温の方も35度ぐらいまで行くのではないでしょうか。やっと夏本番の真っ赤な太陽(?)。
 昨日は日本映画専門チャンネルで若尾文子さんの「荒城の月」(昭和29)を見した。信州の城下町を舞台に没落した純愛メロドラマで若尾さんは旧家の娘役でした。女学校の制服姿や舞妓姿が可愛くて、この頃の若尾さんはどの映画を見てもまぶしいほどの美しさです。映画の内容はそっちのけでただもう見ているだけでウットリしてしまいます(笑)。
 主題歌「荒城の月エレジー」を三浦洸一さんが歌っていて若尾さんは台詞だけです。菊地章子さんの「春の舞妓」でも同じでした。同じ大映のスター山本富士子さんは歌をたくさん吹き込んでいますけどね。
 ただ素顔の若尾さんはあまり明るい人ではないようです。寅さんシリーズの「男はつらいよ 純情編」(昭和46)にマドンナ役で出演されたときの「スター千一夜」のインタビューで、普段からあまり笑わないほうだとご自分でおっしゃっていました。それがこの映画では渥美清さんのおかげでずいぶん笑わされてしまったとか。実際映画の中でも渥美さんのアドリブに本気で笑い出してしまっている場面がありました。
 先月は東芝日曜劇場で作られた「時雨の記」(昭和55)を見ましたが、映画版で吉永小百合さんがやった役を若尾さんが、渡哲也さんの役を池部良さんが演じていました。まだまだお綺麗で臈長けた美しさを感じさせる若尾さんでした。ちなみに演技した時点の年令は小百合さんの方が5才ぐらい上ですけれども。
 いくら橋蔵ファンとはいえ私は男ですから橋蔵さんを見ていてウットリするところまでは残念ながら行けません(笑)。しかし橋蔵さんの美しさを見ているだけでいいという作品はいくつかあります。先日も話題に出た「月形半平太」や「江戸っ子肌」「紅鶴屋敷」「くれない権八」「鳴門飛脚」「恋山彦」「血槍無双」「若さま侍捕物帖」「旅笠道中」「霧の中の渡り鳥」あたりでしょうか。
 それにモノクロが主流だった頃の初期作品も、歌舞伎のくせが抜けきらず演技も生硬であるとはいえ、橋蔵さんの美しさはモノクロ画面の中でこそひときわ映えるような気がしないではありません。「若衆変化」「修羅時鳥」「鮮血の晴着」「おしどり囃子」「ふり袖太平記」「ふり袖太鼓」「緋ぼたん肌」「海の百万石」などなど。
 汚れ役とかリアルな雰囲気の役作りが多くなった最晩期の東映時代劇でも「新吾番外勝負」「黒の盗賊」「主水之介三番勝負」などではきれいな橋蔵さんを見ることが出来ます。
 8月の日本映画専門チャンネルでは、ひばりさんの「続々べらんめえ芸者」、健さんの「天下の快男児 突進太郎」、千恵蔵さんの「地獄の底をぶち破れ」、警視庁物語シリーズの「顔のない女」など東映映画の珍品(?)が相次いで放映されます。
 チャンネルnecoでは「日活 陽の当たらない名画際」と題してB級作品や毛色の変わった作品を紹介していますが、東映でも「陽の当たらない名画」はそれこそ山のようにあります。今月の怪談特集(時代劇専門チャンネル)で放映される「怪談一つ目地蔵」(昭和34)などもさしずめその1本というところでしょうか。一つ目地蔵が光る場面を予告編で見ていたら、千原しのぶさんが水芸人に扮している場面を思い出しました。
 今月のnecoは日活名画館で「私は泣かない」「風と樹と空と」など懐かしくも珍しい映画があるので楽しみです。「私は泣かない」は和泉雅子さんの主演で芦川いづみさんも脇で出ています。「風と樹と空と」は吉永小百合さん主演の青春もの(石坂洋次郎原作)で中学3年生の夏休みに見たきりです。東北から上京してお手伝いさんをしている娘が主人公で、小百合さんが公園の広場でソフトボールをやる場面が記憶に残っています。この映画の同名主題歌は当時テレビでよく歌っていました。♪若い娘達ゃよく笑う♪なぜなぜ笑うか分からない♪大きな声で歌いもするが♪とっても可愛くさわやかだ♪とけないとけないこの謎を♪風と樹と空とは知っている♪

橋蔵さんの殺陣(1) - 2003/08/10 -  TOP
 
橋蔵さんの殺陣は誉められたためしがないばかりか、殺陣の上手い俳優として名前を挙げられることもまずありません。それが現実です。でも「柔和でなよなよしているのが物足りない」というのは一体誰のどんな殺陣と比較してのことなのか、その点をまず問いただしてみたい気がします。
 リアルな殺陣とよく云いますが、あれは殺陣そのものよりもむしろ撮り方の問題ではないかと思っています。またもしもリアルな殺陣が「用心棒」や「三匹の侍」や「座頭市」のようなパターンのものを指して云っているのなら、あれはアングルと編集で誤魔化しているだけの代物だと敢えて極論します。(ここで結論だけを先に言えば、三船さん・勝さん・丹波さんよりも橋蔵さんの方が立ち回りは上手いと思っています。)
 そして何よりも東映時代劇のチャンバラはレビューと同じようなものなんです。そのことを忘れてリアルさや迫力を云々するのは片手落ちか無い物ねだりに等しい議論だと思います。それに東映調のレビューのような殺陣と、用心棒や三匹の侍のような殺陣と、どちらが繰り返し見ていても飽きのこない殺陣かというと、やはり東映の方なんですね。
 おかしなものですけど立ち回りのシーンは昔もそれこそ毎週毎週見ていて飽きなかったし、今でも十分に鑑賞に堪えますし退屈しないのが不思議です。その原因の一つはやはり全身をきちんと入れて撮っているからだと思います。顔のアップやめまぐるしいカットで誤魔化したりせず身体全体の動きを最初から最後までちゃんとアングルの中に収めているんですね。
 また、殺陣の上手さは単なる太刀さばきの上手さだけにあるのではなくて、剣を構えたり振るったりする一連の流れの中で見せる顔の表情、顔の向き、目の配り、そうしたものがすべて組み合わさった総合的なものだと思うんです。そうした意味で橋蔵さんの立ち回りは一番面白くきれいだったし、見ていて一番楽しかったと昔も今も思っています。レビューとしての立ち回り、東映チャンバラというフィールドの中において見る限り、橋蔵さんの殺陣は東映スターの中でもダントツでした。

橋蔵さんの殺陣(2) - 2003/08/10 -  TOP
 ついでに当時の東映スター達の殺陣を寸評してみましょう。(特徴を誇張した言い方になりますがファンの方々はご容赦下さい。)錦之助の殺陣は力強かったし上手かったけれども、イマイチ面白みが感じられなかったです。橋蔵のように踊りの要素を意識した殺陣ではないのでやむをえません。錦之助の殺陣に注目するようになったのは「宮本武蔵 般若坂の決闘」からです。
 千代之介の場合は明らかに単調で一本調子です。踊りの素養があるので型は決まっていますが、斬るときのポイントが常に一つしかありません。また立ち回りの時の表情にメリハリがないので面白くないです。
 大友柳太朗の殺陣は迫力という点では橋蔵さんをしのいでおり、あの重厚さや豪快さは到底橋蔵さんには望むべくもないものです。ただし、やや型にこだわりすぎる傾向があるのと、早い動きの場合などは斬るときの表情がおろそかになっていることが多いです。それとヤクザの役を演じているときでも完全に侍風の立ち回りしかできないのも弱点でしょう。
 千恵蔵さんはハッキリ言って殺陣があまりお上手とは云えませんが、剣を構えている時の演技はなかなかいいです。また刀よりも顔で斬る感じ(?)の立ち回りが多いのでレビュー的な殺陣には不向きでしょう。
 右太衛門も千恵蔵同様に当時はもうお年を召されていましたから、動きが多少鈍い、というよりも動ける範囲が非常に狭いんですね。狭い範囲の中でのわずかな動きなら素早い感じを出せますしその点はさすがです。橋蔵と同様に踊りを意識した殺陣ですが、刀を肘から先だけで振り回しているようなところがあり物足りない気がしました。
 月形龍之介も千恵・右太以上の高齢で、立ち回りのスピードは鈍くなっていましたが、剣を構えた時の迫力と殺気は物凄いものでした。また動きはのろくとも刀の先がきちんと回っているので他のスター達より遙かに強そうにみえました。月形さんや大河内さん(それに阪妻さん、アラカンさん)のような戦前からの剣豪スターの殺陣はこれはもう別格ですね。完全に何かが違います。
 里見浩太郎は順序通りに手足を動かしているのがやっという感じで、斬るというよりも刀でなぜているように見えてしかたありません。子供心にも里見さんは下手だなぁと思っていました。
 こうやって比較してみると分かりますが、橋蔵さんの殺陣は東映時代劇の中でこそ最もよく長所を発揮したと云えるわけで、その特徴が時代劇衰退後は却って仇となり、今ではあべこべに評価が低くなる原因にもなってしまったような気がします。
 しかし東映チャンバラの中で橋蔵さんの殺陣が最もサービス精神に富んでいることは、立ち回りの時の表情や目配り、体の向きや剣の構え、斬った後の体の流れ、アクセントの付け方、などを見れば明らかであり、いずれもきめ細かな変化に富んでおりバリエーションが豊富です。だから見ていて飽きないし面白いんだと思います。
 また武士の時とヤクザの時では目の配りや身のこなしが違っているので自然な感じがします。両方を使い分けていることは一目瞭然です。それがどうして「柔和」だとか「なよなよしている」の形容だけで片付けられてしまうのか誠に残念ですが、そういうことを云う評論家は単なる孫引き(伝聞)をしているか、または映画館のスクリーンで橋蔵映画を見たことのない人だろうと、こちらも勝手に決めつけることにしております(笑)。橋蔵さんが本当になよなよしているだけの人だったら、あの「月形半平太」の立ち回りが出来るでしょうか。

 

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